納豆が日本全国区になったのは戦後以降♪
投稿者: toripan1111 投稿日時: 2012/12/28 14:07 投稿番号: [60831 / 62227]
ついでに、↓は以前他所に書いた分ですが、ディベートの参考にでもお使い下さい♪(複数コメントの寄せ集めなので纏まってませんがw)
南極で、ノルウェー式で捕られたクジラさんのお肉の料理が「日本の食文化」で無いとすれば、完全に日本国内だけで、江戸時代以前のテクノロジーで、流通インフラ・冷凍冷蔵技術の無かった時代に「日本全国で」食されていたものしか「伝統食文化」と呼べないのならば、日本に食文化と呼べる物はほぼ完全に無くなってしまいます。
冷凍冷蔵技術や運送インフラが整ってなかった明治大正以前は刺身はおろか、蒲鉾すり身などの加工品ですら日持ちが悪いので山地の人達は口にしてませんでした。海の幸といえば精々が塩鯨と干魚、棒鱈とかね。
因みに納豆が全国区に広まったのはほぼ昭和以降。福岡出身の祖母が納豆を初めて口にしたのは戦後ですw
冷凍冷蔵技術設備や運送インフラが発達してなかった頃に、「日本中で」食されていた食材って幾つぐらい挙げられますか?
米味噌醤油豆腐、干魚と梅干・漬物・・・後はナニがあるんでしょうか?
クジラさんのお肉は早くから献上の為に、塩蔵や天日干し加工が工夫されてましたから、海無しの山間部でも干魚同様食用利用されていましたからねェ・・・塩鯨とかタレとか。
鯨肉wiki(URL略)
〜日本においても、組織的な捕鯨産業の成立以前から、鯨肉を食用とすることはあったようである。小型のハクジラ類を中心に、縄文時代以前を含む旧石器時代の貝塚や、弥生時代の遺跡など古くから出土例がある。日本では宗教上の理由などから[3]、「肉食」が忌避されたり、公式には禁止される時期が歴史上で度々あったが、欧米の場合と同じく「魚」として食用にされていたようである。〜
〜例えば幕末に捕鯨地の長崎を訪れたシーボルトも、しばしば鯨料理が供されたことについての記録を残しており、中には「鯨ひげのサラダ」などの特異な献立も記されている。ツチクジラは、現在の千葉県房総半島太平洋岸のように、該当種の捕鯨が行われてきた地域では古くから食べられ、特有のクセに応じた調理法も工夫されてきた(鯨肉の干物の「鯨のたれ」と呼ばれる加工品など)。
流通の常(つね)で生産地の周辺地域に広く消費される傾向にあるが、大坂など近傍経済圏にもこの頃に生まれた伝統的な鯨肉料理が存在する。京都では「鯨の吸い物」が食べられているのを井原西鶴が著書の中で紹介している。十返舎一九も東海道中膝栗毛のなかで大坂の淀川で「鯨の煮付け」を紹介している。高知県では土佐藩の高知城下を中心に数々の鯨料理が伝承されており、特に「はりはり鍋」は代表的な物の一つである。江戸城下では鯨肉を素材に調理した「鯨鍋」や「みそ汁」や「澄まし汁」などが食され、「ホリホリ」「鯨のし」などと称した頭部の軟骨を加工した珍味も売られていた。〜
〜行事などと結びついた料理も生まれた。江戸を含め日本各地で12月13日の煤払い(すすはらい)の後は「鯨汁」を食べる習慣が広まり、その様子は沢山の川柳の記述や物売りが鯨肉を扱っていた記録が残されている。秋田でも鍋物としては珍しく夏の暑気払いとして「鯨貝焼(くじらかやき)」という鯨のしょっつる鍋が江戸時代から食されており、夏場になると五艘程度の小舟の船団で鯨漁に出ていた記録が残されている。そして明治開拓以降の北海道の日本海側各地で正月料理として鯨汁が食されるのは、秋田藩を中心とした東北の人々が移り住んだ名残といわれている。〜
縄文時代から食ってたのも確かだけれども、それより江戸市民の庶民的なファストフードとして「鯨汁」が「泥鰌汁」と同じ値段、16文で売られていた、という事実があっても「文化じゃない」と言うのかな・・・?w
勿論ほとんど食ってなかった地域もあるだろうけど、では一体どのぐらいの人口が食ってたら「文化」になるの?その線引きを説明できるかな?w
もしこれでも尚「鯨・鯨料理・加工品は日本の食文化でない」と言う反捕鯨ちゃんが居れば、先に挙げたように米味噌醤油豆腐・漬物以外に「沿岸山間含め日本全国各地で、江戸以前から食ってた食材」を挙げさせててみましょう♪
鮨は勿論、沿岸から遠い山間部で保存食として利用されてきた塩鯨と干魚や棒鱈は同列なので、塩鯨が日本の食文化でなければ干魚すら「日本の食文化」とは言えなくなります。
ココまで説明した上で、「文化じゃない反捕鯨ちゃん」に「日本の食文化」は米・味噌・醤油・漬物だけしかないの?と問い質して見れば「鯨料理は日本の食文化である」と認めてくれますので・・・w
南極で、ノルウェー式で捕られたクジラさんのお肉の料理が「日本の食文化」で無いとすれば、完全に日本国内だけで、江戸時代以前のテクノロジーで、流通インフラ・冷凍冷蔵技術の無かった時代に「日本全国で」食されていたものしか「伝統食文化」と呼べないのならば、日本に食文化と呼べる物はほぼ完全に無くなってしまいます。
冷凍冷蔵技術や運送インフラが整ってなかった明治大正以前は刺身はおろか、蒲鉾すり身などの加工品ですら日持ちが悪いので山地の人達は口にしてませんでした。海の幸といえば精々が塩鯨と干魚、棒鱈とかね。
因みに納豆が全国区に広まったのはほぼ昭和以降。福岡出身の祖母が納豆を初めて口にしたのは戦後ですw
冷凍冷蔵技術設備や運送インフラが発達してなかった頃に、「日本中で」食されていた食材って幾つぐらい挙げられますか?
米味噌醤油豆腐、干魚と梅干・漬物・・・後はナニがあるんでしょうか?
クジラさんのお肉は早くから献上の為に、塩蔵や天日干し加工が工夫されてましたから、海無しの山間部でも干魚同様食用利用されていましたからねェ・・・塩鯨とかタレとか。
鯨肉wiki(URL略)
〜日本においても、組織的な捕鯨産業の成立以前から、鯨肉を食用とすることはあったようである。小型のハクジラ類を中心に、縄文時代以前を含む旧石器時代の貝塚や、弥生時代の遺跡など古くから出土例がある。日本では宗教上の理由などから[3]、「肉食」が忌避されたり、公式には禁止される時期が歴史上で度々あったが、欧米の場合と同じく「魚」として食用にされていたようである。〜
〜例えば幕末に捕鯨地の長崎を訪れたシーボルトも、しばしば鯨料理が供されたことについての記録を残しており、中には「鯨ひげのサラダ」などの特異な献立も記されている。ツチクジラは、現在の千葉県房総半島太平洋岸のように、該当種の捕鯨が行われてきた地域では古くから食べられ、特有のクセに応じた調理法も工夫されてきた(鯨肉の干物の「鯨のたれ」と呼ばれる加工品など)。
流通の常(つね)で生産地の周辺地域に広く消費される傾向にあるが、大坂など近傍経済圏にもこの頃に生まれた伝統的な鯨肉料理が存在する。京都では「鯨の吸い物」が食べられているのを井原西鶴が著書の中で紹介している。十返舎一九も東海道中膝栗毛のなかで大坂の淀川で「鯨の煮付け」を紹介している。高知県では土佐藩の高知城下を中心に数々の鯨料理が伝承されており、特に「はりはり鍋」は代表的な物の一つである。江戸城下では鯨肉を素材に調理した「鯨鍋」や「みそ汁」や「澄まし汁」などが食され、「ホリホリ」「鯨のし」などと称した頭部の軟骨を加工した珍味も売られていた。〜
〜行事などと結びついた料理も生まれた。江戸を含め日本各地で12月13日の煤払い(すすはらい)の後は「鯨汁」を食べる習慣が広まり、その様子は沢山の川柳の記述や物売りが鯨肉を扱っていた記録が残されている。秋田でも鍋物としては珍しく夏の暑気払いとして「鯨貝焼(くじらかやき)」という鯨のしょっつる鍋が江戸時代から食されており、夏場になると五艘程度の小舟の船団で鯨漁に出ていた記録が残されている。そして明治開拓以降の北海道の日本海側各地で正月料理として鯨汁が食されるのは、秋田藩を中心とした東北の人々が移り住んだ名残といわれている。〜
縄文時代から食ってたのも確かだけれども、それより江戸市民の庶民的なファストフードとして「鯨汁」が「泥鰌汁」と同じ値段、16文で売られていた、という事実があっても「文化じゃない」と言うのかな・・・?w
勿論ほとんど食ってなかった地域もあるだろうけど、では一体どのぐらいの人口が食ってたら「文化」になるの?その線引きを説明できるかな?w
もしこれでも尚「鯨・鯨料理・加工品は日本の食文化でない」と言う反捕鯨ちゃんが居れば、先に挙げたように米味噌醤油豆腐・漬物以外に「沿岸山間含め日本全国各地で、江戸以前から食ってた食材」を挙げさせててみましょう♪
鮨は勿論、沿岸から遠い山間部で保存食として利用されてきた塩鯨と干魚や棒鱈は同列なので、塩鯨が日本の食文化でなければ干魚すら「日本の食文化」とは言えなくなります。
ココまで説明した上で、「文化じゃない反捕鯨ちゃん」に「日本の食文化」は米・味噌・醤油・漬物だけしかないの?と問い質して見れば「鯨料理は日本の食文化である」と認めてくれますので・・・w
これは メッセージ 60830 (toripan1111 さん)への返信です.
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