ソースは熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編
投稿者: toripan1111 投稿日時: 2012/04/04 22:27 投稿番号: [57794 / 62227]
ソースは熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編 2011/ 5/ 7 10:41 [ No.53866 / 57793 ]
↑の、『熊野太地浦捕鯨史』(1969年)、浜中栄吉編『太地町史』(1979年)。
という事らしいです。大元の情報源としては。
なので、そこでrクンが引いてる 客 観 的 ソ ー ス 提 示 無 し の個人のつぶやき(「天野さん」って誰?w)とは信頼性が比較になりませんし、
『 積 極 的 に 探 査 し て 追 い 込 』 まなければ、
日に30〜50頭もの漁獲は不可能でしゅ♪
>最も古いイルカ追込み漁の記録は1933年のものである。
何度も言ってあげるけど、それはあくまで後発の太地町に限ったハナシで、
能 登 で は 少 な く と も 1 8 3 8 年 以 前 か ら
追い込み漁が行なわれていた、というのが客観的事実です♪(ソースは『能登国採魚絵図』)↓
2011年02月16日(水) 1 tweets ソース取得:
RT @kiuchi_minoru: モーターボートを導入する以前の追い込み漁、漁獲はそんなに多くないと思いきや、『能登国採魚絵図』(1838)によれば二日でイルカを1000頭以上捕獲したこともあったらしい。回遊の規模によるんだろうけど、昔の人も侮れない! #thecove #taiji
posted at 11:49:36
Permalink - 2011年02月16日
※ さてもう一度客観的事実をご確認願います♪↓ ※
熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編の『熊野太地浦捕鯨史』(1969年)、浜中栄吉編『太地町史』(1979年)等によれば、1933年には日に30〜50頭もの漁獲があったので記録として残ってるのだそうで、興味のある方は書籍を探して確認ください♪↓
1933年には、一日で30~50頭という大漁だったために、追い込んだ記録が残っているようですね。ソースは熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編『熊野太地浦捕鯨史』(1969年)、浜中栄吉編『太地町史』(1979年)。 @t_geckocat @kasugabe1111
posted at 16:17:39
太地町で組織的な捕鯨(イルカ含む)が始まったのは1606年。「イルカ漁」といった場合の開始時期は1606年。モーターボートを使った「追い込み漁」の大漁記録が残っているのは1933年以降で、ザ・コーブ制作陣もそう発言しています。 @t_geckocat @kasugabe1111
posted at 16:17:11
太地でモーターボートを使った追い込み漁の記録は1933年からあります。それ以前の漁でも、イルカを湾内に追い込んで補殺するケースがあったようです。さらに、並行して突きん棒漁はずっと行われています。 RT @kasugabe1111 昭和に伝授された太地の「漁法」
posted at 16:16:36
Permalink - 2011年03月09日
2011年02月15日(火) 4 tweets ソース取得:
RT @kiuchi_minoru: 1933年には、一日で30~50頭という大漁だったために、追い込んだ記録が残っているようですね。ソースは熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編『熊野太地浦捕鯨史』(1969年)、浜中栄吉編『太地町史』(1979年)。 @t_geckocat @kasugabe1111
posted at 22:56:37
RT @kiuchi_minoru: 太地町で組織的な捕鯨(イルカ含む)が始まったのは1606年。「イルカ漁」といった場合の開始時期は1606年。モーターボートを使った「追い込み漁」の大漁記録が残っているのは1933年以降で、ザ・コーブ制作陣もそう発言しています。 @t_geckocat @kasugabe1111
posted at 22:56:31
RT @kiuchi_minoru: 太地でモーターボートを使った追い込み漁の記録は1933年からあります。それ以前の漁でも、イルカを湾内に追い込んで補殺するケースがあったようです。さらに、並行して突きん棒漁はずっと行われています。 RT @kasugabe1111 昭和に伝授された太地の「漁法」
posted at 13:48:25
それは未聞でした。反捕鯨情報に騙されてた(笑)突き棒などによる太地の食用捕獲・利用文化が長い伝統なのは事実ですね@kiuchi_minoru 太地でモーターボートを使った追い込み漁の記録は1933年からあります。それ以前の漁でも、イルカを湾内に追い込んで補殺するケースがあったよう
posted at 13:47:51
↑の、『熊野太地浦捕鯨史』(1969年)、浜中栄吉編『太地町史』(1979年)。
という事らしいです。大元の情報源としては。
なので、そこでrクンが引いてる 客 観 的 ソ ー ス 提 示 無 し の個人のつぶやき(「天野さん」って誰?w)とは信頼性が比較になりませんし、
『 積 極 的 に 探 査 し て 追 い 込 』 まなければ、
日に30〜50頭もの漁獲は不可能でしゅ♪
>最も古いイルカ追込み漁の記録は1933年のものである。
何度も言ってあげるけど、それはあくまで後発の太地町に限ったハナシで、
能 登 で は 少 な く と も 1 8 3 8 年 以 前 か ら
追い込み漁が行なわれていた、というのが客観的事実です♪(ソースは『能登国採魚絵図』)↓
2011年02月16日(水) 1 tweets ソース取得:
RT @kiuchi_minoru: モーターボートを導入する以前の追い込み漁、漁獲はそんなに多くないと思いきや、『能登国採魚絵図』(1838)によれば二日でイルカを1000頭以上捕獲したこともあったらしい。回遊の規模によるんだろうけど、昔の人も侮れない! #thecove #taiji
posted at 11:49:36
Permalink - 2011年02月16日
※ さてもう一度客観的事実をご確認願います♪↓ ※
熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編の『熊野太地浦捕鯨史』(1969年)、浜中栄吉編『太地町史』(1979年)等によれば、1933年には日に30〜50頭もの漁獲があったので記録として残ってるのだそうで、興味のある方は書籍を探して確認ください♪↓
1933年には、一日で30~50頭という大漁だったために、追い込んだ記録が残っているようですね。ソースは熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編『熊野太地浦捕鯨史』(1969年)、浜中栄吉編『太地町史』(1979年)。 @t_geckocat @kasugabe1111
posted at 16:17:39
太地町で組織的な捕鯨(イルカ含む)が始まったのは1606年。「イルカ漁」といった場合の開始時期は1606年。モーターボートを使った「追い込み漁」の大漁記録が残っているのは1933年以降で、ザ・コーブ制作陣もそう発言しています。 @t_geckocat @kasugabe1111
posted at 16:17:11
太地でモーターボートを使った追い込み漁の記録は1933年からあります。それ以前の漁でも、イルカを湾内に追い込んで補殺するケースがあったようです。さらに、並行して突きん棒漁はずっと行われています。 RT @kasugabe1111 昭和に伝授された太地の「漁法」
posted at 16:16:36
Permalink - 2011年03月09日
2011年02月15日(火) 4 tweets ソース取得:
RT @kiuchi_minoru: 1933年には、一日で30~50頭という大漁だったために、追い込んだ記録が残っているようですね。ソースは熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編『熊野太地浦捕鯨史』(1969年)、浜中栄吉編『太地町史』(1979年)。 @t_geckocat @kasugabe1111
posted at 22:56:37
RT @kiuchi_minoru: 太地町で組織的な捕鯨(イルカ含む)が始まったのは1606年。「イルカ漁」といった場合の開始時期は1606年。モーターボートを使った「追い込み漁」の大漁記録が残っているのは1933年以降で、ザ・コーブ制作陣もそう発言しています。 @t_geckocat @kasugabe1111
posted at 22:56:31
RT @kiuchi_minoru: 太地でモーターボートを使った追い込み漁の記録は1933年からあります。それ以前の漁でも、イルカを湾内に追い込んで補殺するケースがあったようです。さらに、並行して突きん棒漁はずっと行われています。 RT @kasugabe1111 昭和に伝授された太地の「漁法」
posted at 13:48:25
それは未聞でした。反捕鯨情報に騙されてた(笑)突き棒などによる太地の食用捕獲・利用文化が長い伝統なのは事実ですね@kiuchi_minoru 太地でモーターボートを使った追い込み漁の記録は1933年からあります。それ以前の漁でも、イルカを湾内に追い込んで補殺するケースがあったよう
posted at 13:47:51
これは メッセージ 57792 (r13*12 さん)への返信です.
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