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捕鯨の町 復活へ

投稿者: r13812 投稿日時: 2011/04/25 07:13 投稿番号: [53553 / 62227]
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20110425-OYT8T00036.htm


クジラを解体する巨大な木製のまな板の上で捕鯨再開への思いを語る「鮎川捕鯨」の奥海良悦さん(19日、石巻市で)=伊藤紘二撮影
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20110425-OYT9I00034.htm


浜に打ち上げられた「鮎川捕鯨」の捕鯨船「第28大勝丸」(19日、石巻市で)
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20110425-OYT9I00035.htm



  日本4大捕鯨基地の一つ、石巻市鮎川地区で、東日本大震災の津波被害を乗り越え、漁師たちが“鯨の町復活”へ動き出した。25日からの調査捕鯨にも参加が決まり、地区唯一の捕鯨会社「鮎川捕鯨」の社員らは「再興の弾み」と意気込む。キャリア50年超のベテラン奥海良悦さん(69)は「絶対にあきらめない」と力を込めた。(山村翠)

  石巻市などによると、鮎川地区の捕鯨は、1906年に山口県の捕鯨業者が事業所を設立して始まった。三陸沖の漁場が近く、長らく捕鯨の町として繁栄。北海道釧路市、千葉県南房総市、和歌山県太地町と並び日本の4大捕鯨基地に挙げられる。

  最盛期の50〜60年代には震災直前の3倍ほどの約1万4000人が暮らし、9割以上の住民が捕鯨に携わっていた。この頃、鮎川港には年間2000頭以上の水揚げがあったという。

  風向きが変わったのは88年。国際捕鯨委員会の82年の決定を受けて商業捕鯨が全面禁止となり、地区は衰退の一途をたどった。近年は、水揚げも調査捕鯨で捕獲する年間80〜90頭にとどまり、国際的な反捕鯨運動も逆風になっていた。

  そんな中で起こった大震災。鮎川地区の解体場は建屋が津波に流され、鯨肉加工場も鉄骨の骨組みだけになった。石巻市内の造船所で整備中だった捕鯨船3隻も、陸地に打ち上げられたり、横倒しになったり。心ない米紙には「津波は日本の捕鯨産業の支柱を倒した」と書かれもしたという。

  幸い、約40人の従業員は全員無事だった。解体場の床を兼ねる縦16メートル、横6メートルの木のまな板も残った。船も整備すれば使える。

  かつて、解体担当として約70回にわたって南極海などに出航した奥海さんは、「秋には再開しよう」と仲間に声をかけ続けた。「人間は健在。やる気もある。施設はいくらでも建てられるさ」。再興への一歩として、鮎川港の周辺で、漁具や解体道具を探し、拾い集めた。「町が壊滅状態で再開できるのか」と聞いた外国の報道機関には、「必ず復活する。へこたれない男たちがいると世界に伝えてくれ」と胸を張った。

  一度は中止になった今月中旬からの三陸沖での調査捕鯨は、北海道の釧路沖に場所を移し実施することになった。鮎川からは約30人が参加する。船や道具類は、共に参加する千葉や和歌山の業者が貸してくれる。

  「今回は捕れなくてもいいんだ。参加するだけでも皆の気持ちが高まる」。奥海さんは、右手の平のタコを見つめ、再起を誓った。

(2011年4月25日 読売新聞)
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