新造船を含む捕鯨船3隻も傷ついた
投稿者: r13812 投稿日時: 2011/04/19 00:00 投稿番号: [53474 / 62227]
「鮎川捕鯨」でも新造船していたのか?
なんかよくわかんないな。
ちゃんと船名を書きゃ良いものを、なぜやらない?
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東日本大震災:「鯨砲」は街のシンボル…石巻・鮎川浜
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110419k0000m040055000c.html事務所跡の前にある鯨砲に手をかけ、復活を誓う伊藤稔さん。建物で残ったのは倉庫(奥)だけだ=宮城県石巻市の2011年4月18日、狩野智彦撮影
http://mainichi.jp/select/wadai/news/images/20110419k0000m040057000p_size5.jpg
「昭和の全盛期、これでクジラを撃ったんだ」。波止場が消え岸壁が割れた宮城県石巻市鮎川浜地区。捕鯨会社「鮎川捕鯨」会長の伊藤稔さん(74)は被災した事務所跡で、津波に耐えた旧式の1台に手をかけ淡々と話した。海中へもりを放つ鯨砲は「クジラの街」のシンボルだ。
地元の全5業者が08年に合併した同社は、4大捕鯨基地の一角を占める鮎川の起死回生策だった。合併効果で長い低迷から脱しつつあった今春。三陸沖の調査捕鯨を約1カ月後に控え新造船も出番を待つ中、津波が襲った。倉庫など計10棟が崩れ、現役の鯨砲7台も消え、新造船を含む捕鯨船3隻も傷ついた。
だが「捕鯨がなくなれば鮎川が鮎川ではなくなる」と伊藤さん。幸い3隻とも修理すれば使える。北海道・釧路沖に場所を移し25日に始まる調査捕鯨で現地の船に派遣する乗組員のめどもつけた。修理の相談、釧路との連絡で携帯電話が鳴る。「一刻も早く再建し街に恩返ししたい」
1日3往復で復活した路線バスで市中心部へ。曇り時々晴れ、段差や亀裂を越すたび揺すられる。震災前は通学・通院客が大勢いた乗客も、しばらく県立石巻商業高の柔道部2年、阿部雅俊君(16)と私だけ。通う先がないのだ。「道場は使えるの?」「行ってみないと分からない」。そう言いながらも、震災後初の練習に向かう阿部君はウキウキしていた。【狩野智彦】
毎日新聞
2011年4月18日
19時43分(最終更新
4月18日
20時03分)
これは メッセージ 53457 (r13812 さん)への返信です.
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