動物園の動物と水族館のイルカ、
投稿者: toripan1111 投稿日時: 2010/08/11 22:40 投稿番号: [46850 / 62227]
↑どう違うの?
・・・って突っ込みが入る事をどうして予想しないの?
或いは予想しても尚、
「動物園に飼われる動物なんかどうでもいいけど、水族館はイルカタソ、シャチタソが可哀想だからラメェッ!!」
で押し切れるとナチュラルに考えられちゃうのかな・・・?w
動物園に居る動物も元は大概野生なんで、それと同じ様にイルカやシャチを飼育して見世物にする事の、一体ナニが「民度が低すぎる」なんてことになるのだね・・?。w
・経済動物として扱ってはいけない動物=イルカ・クジラ・シャチ。
・経済動物として扱っていい動物=それ以外全て。
というのがア・プリオリになってるのは鯨類愛護のキミ等だけ、だよ♪↓
2.差別に不感症の野生動物保護論者
反捕鯨病の分析を続けるにあたって、まずこの病気を大まかに分類してみたい。私の見るところ、反捕鯨病は大きく分けて三種類の原因もしくは症状に分けられる。無論、これらが絡み合って複合的な様相を示している病人も少なくない。その三種類とは、次のとおりである。
A.
自然環境保護のためと聞くと、内容をろくに確かめずに何でも飛びつき支持してしまう単純エコロジスト病。
B.
外国が日本を批判すると、ただちに悪いのは日本側だと反応するアンチ日本症候群。
C.
鯨やイルカは特殊な動物で絶対に捕獲してはいけないし、人間とイルカの交流によって素晴らしい未来が開けると信じ込む一種の新興宗教熱(これをオウム真理教、じゃなかった、鯨・イルカ真理教と呼ぼう)。
この三つの症状のうち一番タチが悪いのは、やはりCであろう。AとBもなかなかやっかいだが、少なくともデータの積み重ねによって論駁もしくは説得することは可能ではある。だがCは宗教であるだけに、論理やデータによる説得は効を奏さない場合が多い。これは聖書の内容の荒唐無稽さをいくらあげつらってもキリスト教徒を改宗させられないのと同じである。そして、ここが肝腎なところだが、ある人間が宗教に染まりやすいかどうかは、一般に信じられているような知性の高低とは無関係なのである。ここでの知性とは、日本で言えば偏差値の高い大学に合格できる、程度の意味だ。いや、むしろ中途半端なインテリの方が案外新興宗教や疑似宗教に弱いという事実は、オウム真理教事件で明らかになったばかりである。
そして現在、反捕鯨を推進する側の最大の心理的論拠になっているのもCなのである。
ところが、日本の「良心的」な反捕鯨論者はこの点を認めようとしない。それはそうだろう。なぜならCには少なくとも現時点では科学的論拠は何もなく、要は「私はこう感じる」というだけの単純極まりない趣味性に基づいているからである。おまけにこれは露骨な動物差別主義であり、人種差別主義の一変種であって、多様な文化や習慣のあり方を認めようとしない偏狭なレイシズムに他ならないからだ。自然保護がレイシズムと結びついている、と言われたら良心的な人は困惑するだろう。そこから先、この人のとる道は二つに別れる。まず第一は、反捕鯨運動にレイシズムが関わっていることを素直に認め、それを批判した上で純粋に自然保護・資源保護の視点から捕鯨問題を論じること。これがまともな道であることは言を俟たないが、そうなったらこの人はもう反捕鯨論者であり続けることは不可能になる。
そこでこの人のとる第二の道が現れる。反捕鯨運動にレイシズムが関わっている事実を否定してしまうのである。そしてとにかく反捕鯨を唱えている人間がいるのだから反捕鯨には論拠があるという循環論法的な言い分に徹してしまう。
http://luna●.pos●.to●/whale/jpn_nemo4.html
(↑は●を抜いて検索)
・・・って突っ込みが入る事をどうして予想しないの?
或いは予想しても尚、
「動物園に飼われる動物なんかどうでもいいけど、水族館はイルカタソ、シャチタソが可哀想だからラメェッ!!」
で押し切れるとナチュラルに考えられちゃうのかな・・・?w
動物園に居る動物も元は大概野生なんで、それと同じ様にイルカやシャチを飼育して見世物にする事の、一体ナニが「民度が低すぎる」なんてことになるのだね・・?。w
・経済動物として扱ってはいけない動物=イルカ・クジラ・シャチ。
・経済動物として扱っていい動物=それ以外全て。
というのがア・プリオリになってるのは鯨類愛護のキミ等だけ、だよ♪↓
2.差別に不感症の野生動物保護論者
反捕鯨病の分析を続けるにあたって、まずこの病気を大まかに分類してみたい。私の見るところ、反捕鯨病は大きく分けて三種類の原因もしくは症状に分けられる。無論、これらが絡み合って複合的な様相を示している病人も少なくない。その三種類とは、次のとおりである。
A.
自然環境保護のためと聞くと、内容をろくに確かめずに何でも飛びつき支持してしまう単純エコロジスト病。
B.
外国が日本を批判すると、ただちに悪いのは日本側だと反応するアンチ日本症候群。
C.
鯨やイルカは特殊な動物で絶対に捕獲してはいけないし、人間とイルカの交流によって素晴らしい未来が開けると信じ込む一種の新興宗教熱(これをオウム真理教、じゃなかった、鯨・イルカ真理教と呼ぼう)。
この三つの症状のうち一番タチが悪いのは、やはりCであろう。AとBもなかなかやっかいだが、少なくともデータの積み重ねによって論駁もしくは説得することは可能ではある。だがCは宗教であるだけに、論理やデータによる説得は効を奏さない場合が多い。これは聖書の内容の荒唐無稽さをいくらあげつらってもキリスト教徒を改宗させられないのと同じである。そして、ここが肝腎なところだが、ある人間が宗教に染まりやすいかどうかは、一般に信じられているような知性の高低とは無関係なのである。ここでの知性とは、日本で言えば偏差値の高い大学に合格できる、程度の意味だ。いや、むしろ中途半端なインテリの方が案外新興宗教や疑似宗教に弱いという事実は、オウム真理教事件で明らかになったばかりである。
そして現在、反捕鯨を推進する側の最大の心理的論拠になっているのもCなのである。
ところが、日本の「良心的」な反捕鯨論者はこの点を認めようとしない。それはそうだろう。なぜならCには少なくとも現時点では科学的論拠は何もなく、要は「私はこう感じる」というだけの単純極まりない趣味性に基づいているからである。おまけにこれは露骨な動物差別主義であり、人種差別主義の一変種であって、多様な文化や習慣のあり方を認めようとしない偏狭なレイシズムに他ならないからだ。自然保護がレイシズムと結びついている、と言われたら良心的な人は困惑するだろう。そこから先、この人のとる道は二つに別れる。まず第一は、反捕鯨運動にレイシズムが関わっていることを素直に認め、それを批判した上で純粋に自然保護・資源保護の視点から捕鯨問題を論じること。これがまともな道であることは言を俟たないが、そうなったらこの人はもう反捕鯨論者であり続けることは不可能になる。
そこでこの人のとる第二の道が現れる。反捕鯨運動にレイシズムが関わっている事実を否定してしまうのである。そしてとにかく反捕鯨を唱えている人間がいるのだから反捕鯨には論拠があるという循環論法的な言い分に徹してしまう。
http://luna●.pos●.to●/whale/jpn_nemo4.html
(↑は●を抜いて検索)
これは メッセージ 46849 (r13812 さん)への返信です.
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