Re: 国防の根幹・・yoko3
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2008/08/02 09:24 投稿番号: [26396 / 62227]
>危険にあるからやめましょうではスジが通らない。正しい事は遂行すべきで
その危険は早急に芽を摘む必要があると思います。
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第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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せっかく最近の深夜のNHKでは、戦争当事者の人たちの回想ドキュメントとでもいえる、貴重な放送が行われていたにもかかわらず、季節はずれの頓珍漢で目くらまし的、ガス抜き的な内閣改造などやっていて、その所為で貴重な映像が見れないと言うことは、私個人としては、残念この上ないこのごろです。
今までの映像を見る限り、基本的にあの戦争の体験者は、ほぼ全員が、「二度と戦争はしたくない」という意見に集約されているように思えます。私自身も、彼らの体験談を聞くにつけ、より一層そのように感じる気持ちを強くしている次第です。
そして、私なりに先の戦争を考えて、「日本は、いかにして戦争を放棄すべきだったのか?」という答えは、最終的には、「何があっても我慢する」・・・と言うことに行き着くのでした。
もし仮に、絶対に戦争が愚かな行為であり、もう二度としたくないのであれば、相手の都合によっていかなる不利益が予想されようと、自尊心を傷つけられようと、絶対に他からの挑発に乗ってはいけなかったわけだし、そうしなければ戦争は回避できません。
戦後、日本は(特に軍備による)大国主義を放棄したわけですから、一定の範囲内で、確固たる筋を通して、憲法9条という平和憲法を有する国としての尊厳を保ちながら非暴力を主張し、卑屈になることなく、国際社会の中での協調路線を取れば、おそらくは日本を否定的にもしくは攻撃的に敵対する勢力は現れ得ないのではないだろうか?というような、非常に楽観的な信条にならざるをえない状況にいると思っています。
※私は、昨今のここでの会話の中で、たかがSSくらいのことで、この多くの戦争体験者が絶対使命として拒否すべきだと主張している戦争に対して、これを否定する平和憲法を、ほとんど議論されることなく簡単にその一角を手放してもいいものだろうか?と問いたいと思いました。
私が書いたのは、主に二つです。
(1) 海自なり海保なりが護衛につくとしても、例えばあくまでSSによる犯罪行為の抑止とか、防御行為に徹すると言うことは可能なのではなかろうか?つまり、常に二船の中間に割り込んで位置させておくことで、無用な暴力を行使させなくすると言うような、行為とか、それについての後の国際世界にSSの暴力行為の不法性を訴えるための客観的な「記録」作業の充実。・・・みたいなことを優先させ、それ以上の行為は行わないというくらいの自制をかけておく様なことには出来ないのだろうか。
(2) 例えば、日本の排他的水域以外の場所においても、相手(テロリストであろうと)の暴力的行為が発生したら、則、防御防衛行為としての戦闘活動が許されるとする法律的解釈が、すでに日本においてコンセンサスが得られていて、法律上の違法性を問われない状態になっているのだろうか?
・ ・というようなことです。
その危険は早急に芽を摘む必要があると思います。
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第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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せっかく最近の深夜のNHKでは、戦争当事者の人たちの回想ドキュメントとでもいえる、貴重な放送が行われていたにもかかわらず、季節はずれの頓珍漢で目くらまし的、ガス抜き的な内閣改造などやっていて、その所為で貴重な映像が見れないと言うことは、私個人としては、残念この上ないこのごろです。
今までの映像を見る限り、基本的にあの戦争の体験者は、ほぼ全員が、「二度と戦争はしたくない」という意見に集約されているように思えます。私自身も、彼らの体験談を聞くにつけ、より一層そのように感じる気持ちを強くしている次第です。
そして、私なりに先の戦争を考えて、「日本は、いかにして戦争を放棄すべきだったのか?」という答えは、最終的には、「何があっても我慢する」・・・と言うことに行き着くのでした。
もし仮に、絶対に戦争が愚かな行為であり、もう二度としたくないのであれば、相手の都合によっていかなる不利益が予想されようと、自尊心を傷つけられようと、絶対に他からの挑発に乗ってはいけなかったわけだし、そうしなければ戦争は回避できません。
戦後、日本は(特に軍備による)大国主義を放棄したわけですから、一定の範囲内で、確固たる筋を通して、憲法9条という平和憲法を有する国としての尊厳を保ちながら非暴力を主張し、卑屈になることなく、国際社会の中での協調路線を取れば、おそらくは日本を否定的にもしくは攻撃的に敵対する勢力は現れ得ないのではないだろうか?というような、非常に楽観的な信条にならざるをえない状況にいると思っています。
※私は、昨今のここでの会話の中で、たかがSSくらいのことで、この多くの戦争体験者が絶対使命として拒否すべきだと主張している戦争に対して、これを否定する平和憲法を、ほとんど議論されることなく簡単にその一角を手放してもいいものだろうか?と問いたいと思いました。
私が書いたのは、主に二つです。
(1) 海自なり海保なりが護衛につくとしても、例えばあくまでSSによる犯罪行為の抑止とか、防御行為に徹すると言うことは可能なのではなかろうか?つまり、常に二船の中間に割り込んで位置させておくことで、無用な暴力を行使させなくすると言うような、行為とか、それについての後の国際世界にSSの暴力行為の不法性を訴えるための客観的な「記録」作業の充実。・・・みたいなことを優先させ、それ以上の行為は行わないというくらいの自制をかけておく様なことには出来ないのだろうか。
(2) 例えば、日本の排他的水域以外の場所においても、相手(テロリストであろうと)の暴力的行為が発生したら、則、防御防衛行為としての戦闘活動が許されるとする法律的解釈が、すでに日本においてコンセンサスが得られていて、法律上の違法性を問われない状態になっているのだろうか?
・ ・というようなことです。
これは メッセージ 26395 (whalemeatlove さん)への返信です.
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