Re: 『自分達のためだけの捕鯨』
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2008/06/26 18:25 投稿番号: [25728 / 62227]
天木氏の発言には多くの部分で同感することは多いのだが、今回は少し違っている様に感じた。
彼はいったいどこに立ち位置を決めているのか?非常に曖昧な印象を受けた。
日本の利益とか国益という言葉は聞き飽きたが、日本とは具体的には誰のことであり利益とは誰にとっての利益であるのか。
こういう事を考えていると、今回の天木氏の文章はまるっきり従来の自民党の立場と同じような気がしたが、本来彼はもう少し庶民寄りの考え方をしているのかと思っていた。
http://www.amakiblog.com/archives/2008/06/14/
>私が外務省にいた時から、捕鯨問題は日本外交の大きな頭痛の種であった。
彼は外務省をなぜ辞めたのか?
日本外交の無策無能さ、は外務省に限らず、彼自身政府批判の時によく書いておられていたことではなかったか?そう言う主張をしている人が「日本政府にとって頭痛の種」であったことそれそのものが、捕鯨問題が「日本人にとって頭痛の種」であったということに捕鯨問題否定の根拠として求めるのは、異常に筋違いに思えるし、非常に身勝手な「すり替え」であるとも思えてしまう。日本国内の「誰か」にとっての利益の為に易々とクジラの文化を捨てる事に疑問を持っていない・・というよりも「邪魔である」と断言している・・。
例えば、40歳以上の日本国民の多くは、クジラについての正しい情報が伝わっている人にかぎれば、絶滅の危険性がなければ、日常で食べると言うことに嫌悪感はないし、安ければ食べたいと思うだろう。
ましてや、従来の反捕鯨派が唱えていた、クジラがかわいそうだとか、頭がよいクジラを殺すのは人道や動物愛護の精神に反するだとか言うような、全く説得力のない、実際にクジラで育った世代の一部の人生を頭から否定するような論説に対しては、強い反発の心を持つと思う。
普通にクジラの肉が商品として流通し、食べたいときにいつでもでも食べられる環境とまでは諸事情によっていかないのかも知れないが、少なくとも理不尽に自分たちの食文化を否定されて、食べることを外圧によって簡単に否定されることには全く納得が出来ないのではないだろうか、と思うけれども、(私も含む)この人たちのこういう利益を天木氏は「日本の利益」であると認めていないようである。・・・この意味において、彼は「私たちの側にはいない」と言うことが出来るのではないだろうか。
>だからこそ、商業捕鯨にこだわるあまり失う日本の国際的イメージの大きさを考えた時、農水省主導の捕鯨外交は、決して外交的に得策ではないと考えるのだ。
これまでの賛否の文章を読んだ結論として、クジラを食べることにヒステリックに拒否反応を示す人たちは意外と少数ではないだろうか?と思うのだけれども、日本のこれまでの外交は、こんな「些細」な事で左右されるほど脆弱なものであったとしたら、その、これまでの外交こそ見直されるべきなのではないだろうか?
こういう外交政策を、外務省が元自分がいた古巣であるという理由から擁護したい気持ちの表れなのだろうか?
>>「それぞれの企業判断だ。我々は捕鯨の技術を維持していく事を重視しているし、事業も採算はあうと思っている」
>語るに落ちるとはこの事だ。自分達のためだけの捕鯨であるという事がばれた瞬間である。
彼は否定はしているが、基本的に「反捕鯨」の立場なのだろう。
例えば、多大な国費を費やすことなく捕鯨の技術を継続的に維持するためには、スムースな商業化を軌道に乗せることは必至であり、これがなければいたずらに税金を使いながらの単なる伝統保存文化になってしまう。
ましてや、このことをも反捕鯨の団体は徐々に徐々に真綿で首を絞めるごとくその文化の撤廃を求めて、終いには、捕鯨技術の維持さえも難しい状況になることさえも自明であろう。
おそらくは、こういう理不尽な圧力に簡単に屈して、私たちの食文化が否定されても、何の痛みも感じないというのが、彼のスタンスなのだろう・・と思った。
彼はいったいどこに立ち位置を決めているのか?非常に曖昧な印象を受けた。
日本の利益とか国益という言葉は聞き飽きたが、日本とは具体的には誰のことであり利益とは誰にとっての利益であるのか。
こういう事を考えていると、今回の天木氏の文章はまるっきり従来の自民党の立場と同じような気がしたが、本来彼はもう少し庶民寄りの考え方をしているのかと思っていた。
http://www.amakiblog.com/archives/2008/06/14/
>私が外務省にいた時から、捕鯨問題は日本外交の大きな頭痛の種であった。
彼は外務省をなぜ辞めたのか?
日本外交の無策無能さ、は外務省に限らず、彼自身政府批判の時によく書いておられていたことではなかったか?そう言う主張をしている人が「日本政府にとって頭痛の種」であったことそれそのものが、捕鯨問題が「日本人にとって頭痛の種」であったということに捕鯨問題否定の根拠として求めるのは、異常に筋違いに思えるし、非常に身勝手な「すり替え」であるとも思えてしまう。日本国内の「誰か」にとっての利益の為に易々とクジラの文化を捨てる事に疑問を持っていない・・というよりも「邪魔である」と断言している・・。
例えば、40歳以上の日本国民の多くは、クジラについての正しい情報が伝わっている人にかぎれば、絶滅の危険性がなければ、日常で食べると言うことに嫌悪感はないし、安ければ食べたいと思うだろう。
ましてや、従来の反捕鯨派が唱えていた、クジラがかわいそうだとか、頭がよいクジラを殺すのは人道や動物愛護の精神に反するだとか言うような、全く説得力のない、実際にクジラで育った世代の一部の人生を頭から否定するような論説に対しては、強い反発の心を持つと思う。
普通にクジラの肉が商品として流通し、食べたいときにいつでもでも食べられる環境とまでは諸事情によっていかないのかも知れないが、少なくとも理不尽に自分たちの食文化を否定されて、食べることを外圧によって簡単に否定されることには全く納得が出来ないのではないだろうか、と思うけれども、(私も含む)この人たちのこういう利益を天木氏は「日本の利益」であると認めていないようである。・・・この意味において、彼は「私たちの側にはいない」と言うことが出来るのではないだろうか。
>だからこそ、商業捕鯨にこだわるあまり失う日本の国際的イメージの大きさを考えた時、農水省主導の捕鯨外交は、決して外交的に得策ではないと考えるのだ。
これまでの賛否の文章を読んだ結論として、クジラを食べることにヒステリックに拒否反応を示す人たちは意外と少数ではないだろうか?と思うのだけれども、日本のこれまでの外交は、こんな「些細」な事で左右されるほど脆弱なものであったとしたら、その、これまでの外交こそ見直されるべきなのではないだろうか?
こういう外交政策を、外務省が元自分がいた古巣であるという理由から擁護したい気持ちの表れなのだろうか?
>>「それぞれの企業判断だ。我々は捕鯨の技術を維持していく事を重視しているし、事業も採算はあうと思っている」
>語るに落ちるとはこの事だ。自分達のためだけの捕鯨であるという事がばれた瞬間である。
彼は否定はしているが、基本的に「反捕鯨」の立場なのだろう。
例えば、多大な国費を費やすことなく捕鯨の技術を継続的に維持するためには、スムースな商業化を軌道に乗せることは必至であり、これがなければいたずらに税金を使いながらの単なる伝統保存文化になってしまう。
ましてや、このことをも反捕鯨の団体は徐々に徐々に真綿で首を絞めるごとくその文化の撤廃を求めて、終いには、捕鯨技術の維持さえも難しい状況になることさえも自明であろう。
おそらくは、こういう理不尽な圧力に簡単に屈して、私たちの食文化が否定されても、何の痛みも感じないというのが、彼のスタンスなのだろう・・と思った。
これは メッセージ 25529 (r13812 さん)への返信です.
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