骨塚、日本沿岸に多数分布
投稿者: jaway 投稿日時: 2003/05/05 16:40 投稿番号: [1958 / 62227]
道内にも鯨信仰
骨塚、日本沿岸に多数分布−道開拓記念館・水島さん調査
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20030504&j=0046&k=200305046414
鯨類の骨を高台に立て信仰の対象などとした、いわゆる「鯨塚」などの鯨骨製記念物が、道央から道南にかけての日本海沿岸四カ所に存在し、昔はさらに多数の記念物があったことが三日までに、道開拓記念館の水島未記学芸員の調査で明らかになった。本州以南では多数確認されているが、北海道で確認されたのは初めて。北海道の人々と鯨が歴史的に深いつながりのあったことを示す、貴重な民俗資料となりそうだ。
現存する記念物は、≪1≫桧山管内瀬棚町元浦の海岸に臨む高台に立つ鯨の下あごの骨≪2≫後志管内島牧村栄礒(さかえいそ)の海岸に臨む高台に立っていた鯨の下あごの骨(一九九七年に倒れた後は村教委が保存)≪3≫同管内泊村盃村の光徳寺境内に置かれている鯨の頭骨≪4≫同管内余市町豊浜町の稲荷(いなり)神社内にまつられているシャチの頭骨。
このほか後志管内寿都町、泊村、桧山管内瀬棚町の少なくとも四カ所に数十年前まで、鯨骨製記念物があったとみられる。
ほとんどの記念物について、どのようにして置かれたのか知る人はないが、住民に伝わる話などから、十九世紀後半の明治初年から二十世紀前半の大正期にかけてつくられたらしい。
瀬棚町元浦の小町義一さん(88)は十歳前後だった一九二○年代初め、シャチに追われて鯨が浜に打ち上げられたのを覚えている。住民は肉を食べた後、長さ約五メートルの骨を高台に立て、その際、神主も立ち会ったという。
北海道沿岸では江戸時代、鯨はニシンを連れてきてくれるありがたい「神」としてあがめ、漁の対象とせず、浜に打ち上げられた鯨(寄り鯨)のみを食料とした。明治以降、本州から鯨を追ってきた漁師と、鯨をあがめる地元のニシン漁師との衝突があったことは、当時の新聞に記録されている。
一方、北海道の日本海沿岸には大正ごろまで鯨が回遊していたが、今はほとんどみられない。
水島学芸員は「アイヌ民族に関連する可能性もあるが、本州には鯨骨製記念物が多数あり、鯨を海から富をもたらしてくれる『エビス』と考える風習があったことを考えると、北海道の記念物も和人文化とのかかわりが深いと思う」と話す。
道内には鯨骨製記念物がほかにもあるとみられ、水島学芸員は今後、瀬棚町以南の日本海沿岸を調査する計画だ。
「クジラとヒトの民族誌」(東大出版会)の著者で、総合地球環境学研究所(京都)の秋道智弥教授は「ベトナムには鯨塚が多く、カナダの太平洋沿岸の先住民にもシャチをあがめる習慣があった。北海道の記念物もそうした鯨信仰の一環とみられる。おもしろい発見だ」と話している。
<写真:漁港を見下ろす高台に立つ鯨塚。「昔はこの2倍の高さがあった」という=瀬棚町元浦>
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20030504&j=0046&k=200305046414
鯨類の骨を高台に立て信仰の対象などとした、いわゆる「鯨塚」などの鯨骨製記念物が、道央から道南にかけての日本海沿岸四カ所に存在し、昔はさらに多数の記念物があったことが三日までに、道開拓記念館の水島未記学芸員の調査で明らかになった。本州以南では多数確認されているが、北海道で確認されたのは初めて。北海道の人々と鯨が歴史的に深いつながりのあったことを示す、貴重な民俗資料となりそうだ。
現存する記念物は、≪1≫桧山管内瀬棚町元浦の海岸に臨む高台に立つ鯨の下あごの骨≪2≫後志管内島牧村栄礒(さかえいそ)の海岸に臨む高台に立っていた鯨の下あごの骨(一九九七年に倒れた後は村教委が保存)≪3≫同管内泊村盃村の光徳寺境内に置かれている鯨の頭骨≪4≫同管内余市町豊浜町の稲荷(いなり)神社内にまつられているシャチの頭骨。
このほか後志管内寿都町、泊村、桧山管内瀬棚町の少なくとも四カ所に数十年前まで、鯨骨製記念物があったとみられる。
ほとんどの記念物について、どのようにして置かれたのか知る人はないが、住民に伝わる話などから、十九世紀後半の明治初年から二十世紀前半の大正期にかけてつくられたらしい。
瀬棚町元浦の小町義一さん(88)は十歳前後だった一九二○年代初め、シャチに追われて鯨が浜に打ち上げられたのを覚えている。住民は肉を食べた後、長さ約五メートルの骨を高台に立て、その際、神主も立ち会ったという。
北海道沿岸では江戸時代、鯨はニシンを連れてきてくれるありがたい「神」としてあがめ、漁の対象とせず、浜に打ち上げられた鯨(寄り鯨)のみを食料とした。明治以降、本州から鯨を追ってきた漁師と、鯨をあがめる地元のニシン漁師との衝突があったことは、当時の新聞に記録されている。
一方、北海道の日本海沿岸には大正ごろまで鯨が回遊していたが、今はほとんどみられない。
水島学芸員は「アイヌ民族に関連する可能性もあるが、本州には鯨骨製記念物が多数あり、鯨を海から富をもたらしてくれる『エビス』と考える風習があったことを考えると、北海道の記念物も和人文化とのかかわりが深いと思う」と話す。
道内には鯨骨製記念物がほかにもあるとみられ、水島学芸員は今後、瀬棚町以南の日本海沿岸を調査する計画だ。
「クジラとヒトの民族誌」(東大出版会)の著者で、総合地球環境学研究所(京都)の秋道智弥教授は「ベトナムには鯨塚が多く、カナダの太平洋沿岸の先住民にもシャチをあがめる習慣があった。北海道の記念物もそうした鯨信仰の一環とみられる。おもしろい発見だ」と話している。
<写真:漁港を見下ろす高台に立つ鯨塚。「昔はこの2倍の高さがあった」という=瀬棚町元浦>
これは メッセージ 1 (whale_ac さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834578/a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa_1/1958.html