Re: 尊王攘夷も人種差別なんだよ
投稿者: chaevel 投稿日時: 2010/04/08 22:39 投稿番号: [7355 / 15828]
尊王攘夷思想は宋代の朱子学ではなくて、もっと前の、春秋時代の思想です。
もともと、尊王思想と攘夷思想は別々の思想で、尊王の王とは周王朝の事を指し、各地の諸侯は覇者となって、周王朝を守護するべきという、儒教思想から来ています。
攘夷思想とは、中華思想より来ておりいわゆる華夷秩序と思想学的には同根です。
そもそも、古代中国では中原に起こった漢民族の王朝が王朝交代を行いながら、漢王朝でその一つの頂点を極めます。
その後、漢民族の王朝が安泰ではなくなり、異民族の王朝に支配されるたりする、時代を経て、尊王攘夷思想から、尊皇攘夷思想に移り変わります。
最終的には、最後の王朝である清王朝において、滅満興漢運動となり尊皇攘夷思想としては完成を見ました。
それが、現在でも継続しています。
この中華思想というのは、極東アジアの大国であるシナが周りの国々を柵封体制におくことにより、パックス・シナにより、地域の安定をもたらした体制であり、当時においてはあるい一定の評価を与えられる体制です。
唯一、島国である日本と台湾のみが柵封体制から外れた自治を獲得していますが、日本の場合は、飛鳥時代から奈良時代そして平安時代に移り変わるに従って、国風文化とともに、自主的に柵封体制から外れていきましたが(流れ解散みたいなモン?)台湾はむしろ化外の地とされ、シナから見捨てられたといえば言い過ぎかもしれませんが、ちょっと可哀想な境遇でした。
先の大戦で、日本は台湾を植民地化しましたが、敗戦後日本が引き上げたあと、大陸からシナ人が大挙して国民党として入ってきましたが、ネイティブの台湾人からは、「犬が去って豚が来た」と言われていたそうです。
翻って、西洋では、中華思想のような、排斥により安定を図る思想ではなく、古代ローマのようにいわゆる、「敗者さえも同化してしてしまう」という方法で、パックス・ロマーヌスを敷いて、AD5世紀の西ローマ滅亡までの1200年ほどの安定を得たと言えます。
ホゲ氏の指摘には、一部賛同もしますが、尊皇攘夷思想は元々は人種差別の思想ではなく、自らの安定のための、その方便であったといえます。
日本における尊皇攘夷思想は、むしろ長い間の鎖国により、安定ではあるが低成長時代の江戸期からの流れで、人間という生き物は基本的には、安定を好むという、ホメヲシタシス性の表れ。
もう一つは、海外からの情報。
つまり、アヘン戦争で清が植民地化されてしまったという事に対する、警戒感の過剰反応が攘夷思想となり、それが天皇を中心にした尊皇思想とくっついたと考えるべきでしょうね。
従って、こちらも人種差別というのはちょっとオーバーで警戒感が有りすぎた、という方が現実に即した見方ではないでしょうかね。
もともと、尊王思想と攘夷思想は別々の思想で、尊王の王とは周王朝の事を指し、各地の諸侯は覇者となって、周王朝を守護するべきという、儒教思想から来ています。
攘夷思想とは、中華思想より来ておりいわゆる華夷秩序と思想学的には同根です。
そもそも、古代中国では中原に起こった漢民族の王朝が王朝交代を行いながら、漢王朝でその一つの頂点を極めます。
その後、漢民族の王朝が安泰ではなくなり、異民族の王朝に支配されるたりする、時代を経て、尊王攘夷思想から、尊皇攘夷思想に移り変わります。
最終的には、最後の王朝である清王朝において、滅満興漢運動となり尊皇攘夷思想としては完成を見ました。
それが、現在でも継続しています。
この中華思想というのは、極東アジアの大国であるシナが周りの国々を柵封体制におくことにより、パックス・シナにより、地域の安定をもたらした体制であり、当時においてはあるい一定の評価を与えられる体制です。
唯一、島国である日本と台湾のみが柵封体制から外れた自治を獲得していますが、日本の場合は、飛鳥時代から奈良時代そして平安時代に移り変わるに従って、国風文化とともに、自主的に柵封体制から外れていきましたが(流れ解散みたいなモン?)台湾はむしろ化外の地とされ、シナから見捨てられたといえば言い過ぎかもしれませんが、ちょっと可哀想な境遇でした。
先の大戦で、日本は台湾を植民地化しましたが、敗戦後日本が引き上げたあと、大陸からシナ人が大挙して国民党として入ってきましたが、ネイティブの台湾人からは、「犬が去って豚が来た」と言われていたそうです。
翻って、西洋では、中華思想のような、排斥により安定を図る思想ではなく、古代ローマのようにいわゆる、「敗者さえも同化してしてしまう」という方法で、パックス・ロマーヌスを敷いて、AD5世紀の西ローマ滅亡までの1200年ほどの安定を得たと言えます。
ホゲ氏の指摘には、一部賛同もしますが、尊皇攘夷思想は元々は人種差別の思想ではなく、自らの安定のための、その方便であったといえます。
日本における尊皇攘夷思想は、むしろ長い間の鎖国により、安定ではあるが低成長時代の江戸期からの流れで、人間という生き物は基本的には、安定を好むという、ホメヲシタシス性の表れ。
もう一つは、海外からの情報。
つまり、アヘン戦争で清が植民地化されてしまったという事に対する、警戒感の過剰反応が攘夷思想となり、それが天皇を中心にした尊皇思想とくっついたと考えるべきでしょうね。
従って、こちらも人種差別というのはちょっとオーバーで警戒感が有りすぎた、という方が現実に即した見方ではないでしょうかね。
これは メッセージ 7346 (hogei_hoge_hoge さん)への返信です.
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