内鮮一体
投稿者: hamekko_mantarou 投稿日時: 2004/01/11 16:17 投稿番号: [99922 / 232612]
1939(昭和14)年9月に「募集」という名目で、1942(昭和17)年2月には「官斡旋」という名目で、1944(昭和19)年には「国民徴用令」の朝鮮半島適用によって、強制連行が行われました。役所が無理に町や村に連行する人数を割り当て、時には畑で働いている農民や、通行中の労働者を人さらいのようにトラックに積んで日本に送り出しました。
危険でひどい労働現場では、監視付きで働かされ、逃亡を試みたり、反抗する者には、警察での拷問、労務係の虐待が行われ、粗末な食事とあいまって死傷者がたくさん出ました。
朝鮮人は、「内鮮一体」の美名のもとに、日本語教育・宮城遙拝・神社参拝・「皇国臣民の誓詞」暗唱・日本習慣や日本服や日本食の強要などで、「皇国臣民」として扱われました。そのため差別や虐待に一定の歯止めがかかることもありましたが、同化政策の強要で民族の誇りを奪われた朝鮮人は様々な抵抗を試みました。しかし、ひどい弾圧や強制連行は続きました。
中国人は「敵性国民」として非道な扱いを受けました。そのような行為のために、6830人の死亡者を出し、死亡率は17.5%(道内3021人20%)にまでなり、日本の敗戦後も彼らは帰国できませんでした。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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