金正日の後継者「正男」は日本通?
投稿者: chuumokusubekikoto 投稿日時: 2004/01/10 21:17 投稿番号: [99682 / 232612]
日本の東京、新宿駅の南口側に出て、小田急線に乗って1時間ほど走れば大和駅に着く。大和駅の駅舎をで出て5分程度ほど歩いていけば、6階規模のこじんまりとしたホテルがある。1階にパチンコ屋があるこのホテルの名前は丸金ビジネスホテル。屋上に「金」字の大きなネオンサインがあり、誰しもすぐ見つけることができる。
金正男がこのホテルに現れたのは1998年12月27日、日曜日だった。彼が現れる一週間前から、このホテルは隠密だが緻密に、客を迎える準備をした。もちろん金正男が来るという事実を知る人は、ホテルの主人であるK会長ひとりしかいなかった。
1998年12月27日、日曜日
K会長はまず、このホテル1階にあるパチンコマシンのキーを調節した。パチンコは、平日には機械内部のキーを解き、客が金を取るようにする。パチンコは大部分をやくざが管理するのだが、組織員に金を上納するときに使う方法が、まさにキーを解くものだ。組織員が訪問すれば、彼が座る特定の機械のキーを解除して、金を受け取れるようにする方式だ。
だが、客が集まる週末や資金が必要なときは、無条件にキーをかける。これを「締める」と言う。K会長は、その客が来る一週間前から、従業員に無条件「締めろ」と指示した。
K会長はまた、ホテルのあらゆるカーベットを洗濯し、壁を新しく左官工事せよと指示した。その客が現れる三日前はついに「今週末はパチンコとホテルの営業をしない」と発表した。パチンコは元来、週の中頃には開放し週末にかき集める形態で営業するため、職員たちは首をかしげた。金正男が現れる一日前の土曜日、K会長は個人秘書A氏(事件を崔チョロ記者に情報提供した取材源)を呼び、「明日はするべきことが多いから時間を空けておくように」と言った。日曜日の朝、K会長は起きるやいなや、A氏に横浜に行こうと言った。
横浜は、ソウルの城北洞のように大邸宅が多い場所で、K会長の別荘があり、朝総聯の安家が多いところだ。彼は普段、この別荘で韓徳銖・前朝総聯議長(2001年死亡)ら朝総聯の主要幹部たちと会合を開いた。
この日、K会長は最上の洋服を着て、頭に油を塗っていた。K会長の目的地は別荘でなく、この場所にある朝総聯の安家であった。A氏がK会長の車を運転して安家に到着すると、塀の外にはベンツやプレジデントなど高級乗用車10余台が集まっていた。K会長は家の中へ入り、A氏は外で待った。
しばらくして、20余名の人々が右楼からどっと出てきた。その群れの中に黒いムスタングを着た若者(金正男)が眼に入ってきた。高齢の朝総聯幹部たちが、その若者に屈身する姿から、一目で彼が北朝鮮の実力者であるという事実を察することができた。
A氏はその若者を以前にも一度見た記憶があった。1年6ケ月前の1997年5月頃、その時もK会長の車を運転してここに来たのだが、遠くからこの髪の短い若者を見たことであった。当時も、この若者は警護員2名を連れていたのだが、今日見たのとまったく同じ人物だった。
髪の短い若者は、待機していた黒いベンツ560に乗った。この乗用車を中間に置き、前後に10余台の乗用車が群がって動いた。目的地はK会長の丸金ホテル。
A氏とK会長は後尾の部分でベンツ560の後についていった。丸金に到着した時間は午後1時。鋭い寒さの冬の天気であった。若者と朝総聯幹部一行20余名は、このホテル2階の焼き肉店で鮗の刺身の食事をした後、何の会議があるのか、分厚い書類封筒を持って上の階に消えた。
金正男がこのホテルに現れたのは1998年12月27日、日曜日だった。彼が現れる一週間前から、このホテルは隠密だが緻密に、客を迎える準備をした。もちろん金正男が来るという事実を知る人は、ホテルの主人であるK会長ひとりしかいなかった。
1998年12月27日、日曜日
K会長はまず、このホテル1階にあるパチンコマシンのキーを調節した。パチンコは、平日には機械内部のキーを解き、客が金を取るようにする。パチンコは大部分をやくざが管理するのだが、組織員に金を上納するときに使う方法が、まさにキーを解くものだ。組織員が訪問すれば、彼が座る特定の機械のキーを解除して、金を受け取れるようにする方式だ。
だが、客が集まる週末や資金が必要なときは、無条件にキーをかける。これを「締める」と言う。K会長は、その客が来る一週間前から、従業員に無条件「締めろ」と指示した。
K会長はまた、ホテルのあらゆるカーベットを洗濯し、壁を新しく左官工事せよと指示した。その客が現れる三日前はついに「今週末はパチンコとホテルの営業をしない」と発表した。パチンコは元来、週の中頃には開放し週末にかき集める形態で営業するため、職員たちは首をかしげた。金正男が現れる一日前の土曜日、K会長は個人秘書A氏(事件を崔チョロ記者に情報提供した取材源)を呼び、「明日はするべきことが多いから時間を空けておくように」と言った。日曜日の朝、K会長は起きるやいなや、A氏に横浜に行こうと言った。
横浜は、ソウルの城北洞のように大邸宅が多い場所で、K会長の別荘があり、朝総聯の安家が多いところだ。彼は普段、この別荘で韓徳銖・前朝総聯議長(2001年死亡)ら朝総聯の主要幹部たちと会合を開いた。
この日、K会長は最上の洋服を着て、頭に油を塗っていた。K会長の目的地は別荘でなく、この場所にある朝総聯の安家であった。A氏がK会長の車を運転して安家に到着すると、塀の外にはベンツやプレジデントなど高級乗用車10余台が集まっていた。K会長は家の中へ入り、A氏は外で待った。
しばらくして、20余名の人々が右楼からどっと出てきた。その群れの中に黒いムスタングを着た若者(金正男)が眼に入ってきた。高齢の朝総聯幹部たちが、その若者に屈身する姿から、一目で彼が北朝鮮の実力者であるという事実を察することができた。
A氏はその若者を以前にも一度見た記憶があった。1年6ケ月前の1997年5月頃、その時もK会長の車を運転してここに来たのだが、遠くからこの髪の短い若者を見たことであった。当時も、この若者は警護員2名を連れていたのだが、今日見たのとまったく同じ人物だった。
髪の短い若者は、待機していた黒いベンツ560に乗った。この乗用車を中間に置き、前後に10余台の乗用車が群がって動いた。目的地はK会長の丸金ホテル。
A氏とK会長は後尾の部分でベンツ560の後についていった。丸金に到着した時間は午後1時。鋭い寒さの冬の天気であった。若者と朝総聯幹部一行20余名は、このホテル2階の焼き肉店で鮗の刺身の食事をした後、何の会議があるのか、分厚い書類封筒を持って上の階に消えた。
これは メッセージ 99680 (chuumokusubekikoto さん)への返信です.