>戦犯とは何を持って・・・
投稿者: yayoijin_matsuei 投稿日時: 2004/01/04 17:31 投稿番号: [98725 / 232612]
>戦犯とはいかなるものかも知らず、
戦犯という問題は、重い問題だよ。
ここのテーマとして上げるのが適切かどうか、疑問がある。
簡単な問題ではない。
部分的に、哀れをさそうのは、BC級戦犯だろう。
その多くが、捕虜虐待の罪を問われたという。
パターン死の行進(捕虜、1万人以上死亡)とか、・・・グロテスクなのは、父島での捕虜を
わざと殺害してその人肉を食らった事件とか。
挙げればきりがないが。
ただ、問題を感じるのは、多くは「実行行為者」が捕捉されたが、そういう命令を発した
側の者については、一部には逃げたり、結果としてのがれたりという、不公平・不合理な面も
指摘されている。捕虜虐待の「実行者」というのは、自分の意思で実行する・しないを決する
立場にいないのだから(上官の命令は絶対)、「実行者」には違いないとしても、その罪をどこまで
問えるかという点は、気持ちとして引っかかるところだ。(立場上、不憫といえば、そうとも言える。)
もっと、深い問題は、日本軍(特に現地)に「捕虜」というものについての国際的感覚が決定的に欠けていた
ことだという。
ナポレオンの辞書には、「不可能」という言葉は無かった、なんて逸話があるが、この言い方に
従えば、「日本軍の辞書には、『捕虜』という言葉は無かった」ということになるかもしれない。
日本軍の場合、降伏・捕虜になる前に、「玉砕」または「自刃」せよ!ということであった。
従って、日本兵にとって、自分が捕虜になることはあり得ないことであれば、敵兵の捕虜に
ついて人間として扱う考えが生じない。敵兵の捕虜は、獣なみの見方しかできない。
従って、捕虜を殺すことに何の抵抗感もなかった。(もっとも、これはすべて一律には言えないが。
捕虜を正当にあつかった部隊もあった。)
日本政府・軍(中央)では、捕虜の扱いは国際条約に準じて公正に扱うと、米国等に約束して
はいたが、そういう考えは、現地には全く伝わっていない。一方で、上記のような捕虜についての
感覚が支配していた。
そういう中での捕虜虐待である。一体、捕虜虐待についての真の責任というのはどこにあるのか?
という問題にもなる。
どこにも問題は無いとは言えない。何処かには、問題(責任)があったということは言わざるを得ない。
アメリカの市民無差別の原爆投下も、それはそれとして犯罪ではあるかもしれないが。
そういう意味では、「勝者による裁判」という性格は否定はできないが。
これは メッセージ 98676 (reading_is_not さん)への返信です.
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