>もっと調べてレスしたら。
投稿者: japan_21st_century 投稿日時: 2004/01/03 23:53 投稿番号: [98646 / 232612]
>もっと調べてレスしたら。
周の支配制度が「封建制」です。周王は、有力氏族の首長に邑を与える。まだまだ未開の土地はたくさんありますから新たな邑を建設させてそこの統治をまかせる。こういう新しい邑が周の支配下の土地にたくさん建設されるわけです。従来の邑の中には殷と近い関係にあったものもたくさんあるでしょうから、こんなふうに周王は配下の邑をつくることで全土ににらみを利かすことができたのです。周王から邑の支配をまかされた者を諸侯といいます。諸侯は周王に対しては軍役と貢納の義務を負いますが、それ以外は自分の領地をどう支配してもかまいません。諸侯は自分の邑の周辺に配下の有力者を配置します。かれらも小さな邑を支配する。かれらのことを卿・大夫・士(けい・たいふ・し)という。
要するにピラミッド型に上から、周王、諸侯、卿・大夫・士とあってみんなそれぞれのランクに合わせて邑を支配している。これが周の封建制です。士以上が貴族身分、支配者階級と考えたらよい。
http://srd.yahoo.co.jp/PAGE=P/LOC=P/R=21/*http://www.geocities.jp/timeway/kougi-24.html中国の歴史書とあるが、その名前とどのように記述されているか教えていただきたい。
周が封建社会であったのは、このトピで議論されたことだけれども、箕子朝鮮、衛氏朝鮮なる国家は、周王が派遣した諸侯が建設した国ではなかったのではないか。そうだとすれば、その時代朝鮮半島は周の支配下にあったはずである。
箕子朝鮮、衛氏朝鮮が朝鮮の民族国家でなかったのだからこそ、李成桂は明国王に国号を選んでもらった(許可を貰った)のだろう。しかし明は殷や周とはまったく無関係な国であり、そもそもその当時すでに二千年以上も前の国である。そんな太古の国号を使うのに明国王に選んでもらうというのもおかしいし、民族国家であったのであれば、国号を選んでもらったというのもやはりおかしな話である。
これは メッセージ 98607 (yi_song_gye さん)への返信です.
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