日本人は事実の歴史を知るべきだ
投稿者: fabyonnkana 投稿日時: 2004/01/03 15:56 投稿番号: [98582 / 232612]
正論」
平成13年7月号
p66
中村粲著
「過去の歴史を反省すべきは中国の方だ」より抜粋
毒ガスや細菌を軍事に使用したのは中国の方がずっと早かったことを忘れないで頂きたい。中国は早くも一九二六年三月、ソ連からー万発もの毒ガス弾を購入してをり、降ってー九三七年九月、第二次上海事変ではコレラ菌やホスゲンなどの細菌・猛毒物を日本軍に対して各地で使用してをり、その結果、多数の同胞中国民衆をも死に至らしめてゐるのだ。また我軍はソ連製の毒ガス弾も大量に押収してゐる。これについては筆者が編集発行する『昭和史研究所会報第39号、第40号に「細菌・毒ガス戦・/中国が最初の違反者だった」として信夫淳平博士の論述を紹介してある。また北京にも、すでに支那事変初期に細菌戦研究所のあった事実は岡部直三郎・北支方面軍参謀長の日記にも記載が見える。要するに細菌・毒物を作戦に使用したのは日本より中国の方がずっと早かったといふことだ。「731部隊」を非難する前に、中国は自らの過去の所業を率直に認め、反省されるがよい。
岡部直三郎大将の日記 芙蓉書房刊 昭和57.3.20 p155
(昭和13年)
1月31日(月)晴
○午後軍司令官に従い、在天壇野戦防疫部視察。
同防疫部は元支那細菌研究所内に在り。毒物貯蔵
地下室に於ける貯蔵品を見る。一般に細菌線のための
準備なりと称せられある処なり。
東京裁判却下未提出弁護側資料 第3巻 p334
大阪朝日新聞(昭12.12.10)南京戦況の悲惨と焦土戦術
D二六八八 D2688,2689 未提出 22.5.5
負傷兵締出し
非人道極まる支那軍
<ニューヨーク特電八日發> 南京最後の運命は刻一刻と近づきつつあるが、この首都を守る支那軍の動揺とその辿るべき憐れな蓮命につきニューヨーク・タイムズ南京特派員は九日次の如く報道してゐる。焦土と化しつつある南京については既に屡報したが、九日とくに記者の胸に憐れを止めたものは、かつてその威容を南京郊外に誇ってゐた化学戦研究所も逐に支那兵によって火を放たれ火焔に包まれまた金陵公園内の政府要路の大人達の広大美麗なる邸宅も守備兵の無謀の放火の様性となって炎上したことだ。南京前線間の軍隊の往来は繁忙を極めつつあるが、その中を前線で傷ついた兵士連はよろめきながら城門に辿りつくが門扉は厳として開され彼らはどこに行ってよいのか、いかなる運命が彼らを待ってゐるのかなす術を知らぬ有様である。八日南京軍当局は負傷兵の入城を許さざる旨厳命を發し、あまつさへすでに城内にある負傷兵をも城外に追放する旨決議した。しかも南京守備軍には野戦病院の設備は殆ど欠けてをり、かくして南京守備のために戦った支那兵は今後かかる無残な待遇のもとに自力で何らの援助もなく痛手を押して城壁を迂回し楊子江に出て落ちのびるか然らされば路傍に野垂れ死するよりほかなき運命に立ち至ってゐる。
毒ガスや細菌を軍事に使用したのは中国の方がずっと早かったことを忘れないで頂きたい。中国は早くも一九二六年三月、ソ連からー万発もの毒ガス弾を購入してをり、降ってー九三七年九月、第二次上海事変ではコレラ菌やホスゲンなどの細菌・猛毒物を日本軍に対して各地で使用してをり、その結果、多数の同胞中国民衆をも死に至らしめてゐるのだ。また我軍はソ連製の毒ガス弾も大量に押収してゐる。これについては筆者が編集発行する『昭和史研究所会報第39号、第40号に「細菌・毒ガス戦・/中国が最初の違反者だった」として信夫淳平博士の論述を紹介してある。また北京にも、すでに支那事変初期に細菌戦研究所のあった事実は岡部直三郎・北支方面軍参謀長の日記にも記載が見える。要するに細菌・毒物を作戦に使用したのは日本より中国の方がずっと早かったといふことだ。「731部隊」を非難する前に、中国は自らの過去の所業を率直に認め、反省されるがよい。
岡部直三郎大将の日記 芙蓉書房刊 昭和57.3.20 p155
(昭和13年)
1月31日(月)晴
○午後軍司令官に従い、在天壇野戦防疫部視察。
同防疫部は元支那細菌研究所内に在り。毒物貯蔵
地下室に於ける貯蔵品を見る。一般に細菌線のための
準備なりと称せられある処なり。
東京裁判却下未提出弁護側資料 第3巻 p334
大阪朝日新聞(昭12.12.10)南京戦況の悲惨と焦土戦術
D二六八八 D2688,2689 未提出 22.5.5
負傷兵締出し
非人道極まる支那軍
<ニューヨーク特電八日發> 南京最後の運命は刻一刻と近づきつつあるが、この首都を守る支那軍の動揺とその辿るべき憐れな蓮命につきニューヨーク・タイムズ南京特派員は九日次の如く報道してゐる。焦土と化しつつある南京については既に屡報したが、九日とくに記者の胸に憐れを止めたものは、かつてその威容を南京郊外に誇ってゐた化学戦研究所も逐に支那兵によって火を放たれ火焔に包まれまた金陵公園内の政府要路の大人達の広大美麗なる邸宅も守備兵の無謀の放火の様性となって炎上したことだ。南京前線間の軍隊の往来は繁忙を極めつつあるが、その中を前線で傷ついた兵士連はよろめきながら城門に辿りつくが門扉は厳として開され彼らはどこに行ってよいのか、いかなる運命が彼らを待ってゐるのかなす術を知らぬ有様である。八日南京軍当局は負傷兵の入城を許さざる旨厳命を發し、あまつさへすでに城内にある負傷兵をも城外に追放する旨決議した。しかも南京守備軍には野戦病院の設備は殆ど欠けてをり、かくして南京守備のために戦った支那兵は今後かかる無残な待遇のもとに自力で何らの援助もなく痛手を押して城壁を迂回し楊子江に出て落ちのびるか然らされば路傍に野垂れ死するよりほかなき運命に立ち至ってゐる。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.