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経済史的視点 信長の経済改革

投稿者: majimenagiron07 投稿日時: 2004/01/01 18:09 投稿番号: [98305 / 232612]
  中国史視点から、日本史を見るのは間違いだ。
  経済史的には、封建時代から改革は始まってる。

代:1549年(天文18年)〜要約:中世以来の特権商人の力を削ぎ、自由経済による経済の発展を求めた政策。しかし完全なる経済の自由化ではなく商工業者を荘園領主から解放し大名の統制下に置くことが最終目標であった。

内容:   楽市・楽座
中世の商工業者は、公家や社寺などの荘園領主に属して独占的な営業に従事していたが、商品経済の発展に伴って、新しくおこった商工業者がこれまでの仕組みを窮屈に考えるようになった。畿内などの先進区域では、古い仕組みを打破して取引を自由化しようとする機運が盛んになってきた。戦国大名は領国経済を育てるため、次第に商業税の免除を行ってきたが、遂に特定の市場について、市場税や営業税のと専売座の撤廃をはかり、外来商人の市場への立ち入りを歓迎するようになった。これを楽市という。
  伊勢の桑名湊などは、早く十楽の津として取引が自由になっていたが、戦国諸侯は新しく城下町を建設したり、宿場を再興したりするとき、他国商人の集住を促進するため、旧来の市場特権を否定して、楽市の政策を取った。1549年(天文18年)近江の六角定頼が城下町石寺の新市を楽市としたのは、その早い例である。駿河の今川氏真も1566年(永禄9年)、浅間神社の門前町兼城下町の大宮を楽市としたのをはじめ、北条氏や徳川氏もこれを施行している。

  信長の市場政策
織田信長の場合は、本領であった尾張の清洲を最も早く楽市とした。やがて斎藤龍興を滅ぼして美濃一国を平定し、本拠を清洲から美濃の岐阜へ移すや、斎藤氏時代からの井ノ口(岐阜)城下の加納市場を楽市と定めた。この時の制札には、他国から移り住んだ商人の活動を認め、他国での銭や米などの借金を棒引にし、かつ地子や諸役を全て免除する、と見える。
  ただし、市場での押買・狼藉・喧嘩口論などは一切これを禁止し、理不尽な守護使を引き入れたり、これに宿を与えたりして非分を申しかけたりする事はまかりならぬ、と厳しい掟も設けていた。

  楽市楽座宣言
こうした信長の分国城下に於ける楽市政策は、天正5年(1577年)6月、安土で出された「定、安土山下町中」と題する十三箇条の掟書きに集約される。彼が統一政権の首都と定めた安土城下での市場政策を示したもので、いわゆる楽市楽座を宣言したものとして世に名高い。
第一条に「安土城下じゅう楽市としたからには、諸座・諸役・諸公事など、すべて免許する」
と書き出した。あらましは、
  安土を通行する商人は、街道筋の中山道によらず、のぼりくだりとも湖辺にかたよった城下町を通過させる。普請役・伝馬役などの課税を免除する。買い物の中にたとい盗品があっても、買い主が知らなかった場合はその罪を咎めない。ただし盗賊人を引き入れたときは古法にまかせて盗品を返却させる。かりに信長の分国じゅうで徳政が行われても、安土の城下だけは例外として免除する。他国からの新規の転入者があっても、従来から住んでいる者と同様に待遇し、給人に対しては、臨時の諸課役を停止する。
  その他、喧嘩・口論のたぐいを一切禁止し、町内の警察権・裁判権を規定し、また、町人に対する家並役(棟別銭)を免除して、馬市を分国中で安土一ヵ所に限定した。

  都市政策としての楽市楽座
安土における楽市楽座の制令は、一城下にとどまらなかった。信長の分国中の諸大名に伝達されたのである。分国中の諸大名は、何れもこの制度を管轄下の城下町で実行したので、以後の城下町興隆のきっかけとなった。信長の狙いは、都市の把握によって流通機構を統制することだったが、一方で宿場や農村に散在する商工業者を城下に集住させ、町人と農民を分離させることにもあった。

  楽市楽座の目的とその後
信長は、大山崎の油座、その他幾つかの座を破棄しているが、公家や社寺の抵抗にあってこれを徹底できなかった。豊臣秀吉も一時洛中洛外の諸座を安堵したが、政権の確立に伴い、1585年(天正13年9頃から、社寺や公家に属する商人及び職人の座を徹底的に破棄した。荘園領主が持っていた諸役の徴収権も否定された。1587年(天正15年)の博多津楽津令、1595年(文禄4年)会津若松に於ける楽売楽買令などは、これが全国的に行われたことを示している。楽市楽座の政策は、完全な取引の自由を意味するものではなく、商工業を荘園領主の統制から解放し、大名による再編成を狙ったものであり、関所の撤廃と同じ目的を持っている
  自由取引の原則は、江戸時代の初頭、江戸・大阪・京都の三都において確立したが、鎖国後、仲間、株仲間の結成によって破られた。尚、京都の釜座をはじめ、金座・銀座・秤座など特殊な座は、依然として強い統制下に存続を許されている。
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