高砂族の頭目 周麗梅さん
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2003/12/19 18:15 投稿番号: [96228 / 232612]
周麗梅さんを悼む
鈴鹿国際大学教授・水屋神社宮司
久保
憲一
平成10年2月に、ゼミの学生と共に高砂義勇隊英霊碑を訪れた時のビデオがたまたま手元に残っていましたので、改めて見直してみました。故小林文治翁から岐阜県春日村産の「さざれ石」を奉納したい旨、周さんにお伝えした時、お元気だった頃の周さんのお喜びのご挨拶、感激のお言葉が、そのビデオレターに鮮やかに残っていました。ここに文字起しをさせていたたき、在りし日のお姿を偲びたいと思います。
◎小林文治様のことを久保先生から紹介していただいて、本当に嬉しく存じます。本当に感謝いたします。
そして(先刻)ものすごく良い話をいただきました。というのは「君が代」の中にある「巌となる」という『さざれ石』を台湾に寄付すると言われました。よろしいですか?と言われましたので、よいですと言って…(絶句)…私も心から感謝して…(絶句)…なんとお礼を言ってよいかわかりません。
本当に(先の大戦における日本)降伏の時、私は18才だったのですよね。看護学校を卒業して、検定試験に合格して、さあこれから天皇陛下のために、日本のために身を捧げて働こう、身を投げ出しても構わない…という気持ちで看護婦に志願しました。私、小さいですよね。担架を運ぶのですが、担架重いですよね…走るときには担架が肩から落ちるのですよね。それでも頑張って第一線に立とうと思ったの。
そうしているうちに(戦争に)敗けたでしょう。その時、私や、みんなは大声で…跪いてないたのよ。「天皇陛下、どうして負けたかー」と大きな声で泣いたの…昔の思い出です。その君が代は、私は忘れていません。いつも歌っています。
日本と高砂族は一心同体のつもりです。私たち高砂族が戦争に行ったときは裸足で、(高砂族の)刀で敵を何十人か倒したのですよね…そういう話しを聞きました。(高砂族の)お兄さん達…兵隊で戦死した人もおり、帰ってきた人もいました。そして(帰還兵の方々は)いろいろなことを私に言いつけました。
この慰霊塔は台湾にはつくる人が(他に)いないから、私は十年計画を立てました。でも、作ろうと思ってもお金がなく、女一人では何も出来ないでしょう。…そこて私は日本に行って、兵隊に行った中村会長に相談しました。
「造りなさい。力を貸します。募金してね。造るようにするから、計画しなさい」ということで十年計画を立てて、(こうして慰霊碑が)出来ました。これはみな、日本の方々のお陰で建てた慰霊碑です。私ども心を併せてつくりました。
それにまた今回、久保先生からこういうことを言ってくれて、本当にどんなに嬉しいか判らない。あんな良い石……いただくのは簡単ではないのですよね…今日、このことを聞いて、本当にありがとうございます。感謝いたします。11月27日の慰霊碑の時に間に合ったら幸いです。
また私たち高砂族のことを忘れないで、兄弟だと思って…ここを知らない人を誘って、参拝にいらっしゃることをお願い申し上げます。ありがとうございました。
。;・(ノд`);・。 けなげですね・・・
平成10年2月に、ゼミの学生と共に高砂義勇隊英霊碑を訪れた時のビデオがたまたま手元に残っていましたので、改めて見直してみました。故小林文治翁から岐阜県春日村産の「さざれ石」を奉納したい旨、周さんにお伝えした時、お元気だった頃の周さんのお喜びのご挨拶、感激のお言葉が、そのビデオレターに鮮やかに残っていました。ここに文字起しをさせていたたき、在りし日のお姿を偲びたいと思います。
◎小林文治様のことを久保先生から紹介していただいて、本当に嬉しく存じます。本当に感謝いたします。
そして(先刻)ものすごく良い話をいただきました。というのは「君が代」の中にある「巌となる」という『さざれ石』を台湾に寄付すると言われました。よろしいですか?と言われましたので、よいですと言って…(絶句)…私も心から感謝して…(絶句)…なんとお礼を言ってよいかわかりません。
本当に(先の大戦における日本)降伏の時、私は18才だったのですよね。看護学校を卒業して、検定試験に合格して、さあこれから天皇陛下のために、日本のために身を捧げて働こう、身を投げ出しても構わない…という気持ちで看護婦に志願しました。私、小さいですよね。担架を運ぶのですが、担架重いですよね…走るときには担架が肩から落ちるのですよね。それでも頑張って第一線に立とうと思ったの。
そうしているうちに(戦争に)敗けたでしょう。その時、私や、みんなは大声で…跪いてないたのよ。「天皇陛下、どうして負けたかー」と大きな声で泣いたの…昔の思い出です。その君が代は、私は忘れていません。いつも歌っています。
日本と高砂族は一心同体のつもりです。私たち高砂族が戦争に行ったときは裸足で、(高砂族の)刀で敵を何十人か倒したのですよね…そういう話しを聞きました。(高砂族の)お兄さん達…兵隊で戦死した人もおり、帰ってきた人もいました。そして(帰還兵の方々は)いろいろなことを私に言いつけました。
この慰霊塔は台湾にはつくる人が(他に)いないから、私は十年計画を立てました。でも、作ろうと思ってもお金がなく、女一人では何も出来ないでしょう。…そこて私は日本に行って、兵隊に行った中村会長に相談しました。
「造りなさい。力を貸します。募金してね。造るようにするから、計画しなさい」ということで十年計画を立てて、(こうして慰霊碑が)出来ました。これはみな、日本の方々のお陰で建てた慰霊碑です。私ども心を併せてつくりました。
それにまた今回、久保先生からこういうことを言ってくれて、本当にどんなに嬉しいか判らない。あんな良い石……いただくのは簡単ではないのですよね…今日、このことを聞いて、本当にありがとうございます。感謝いたします。11月27日の慰霊碑の時に間に合ったら幸いです。
また私たち高砂族のことを忘れないで、兄弟だと思って…ここを知らない人を誘って、参拝にいらっしゃることをお願い申し上げます。ありがとうございました。
。;・(ノд`);・。 けなげですね・・・
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.