6カ国協議は甘い認識
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2003/12/03 01:35 投稿番号: [94611 / 232612]
これは共感するところが多いです。
特に最後のところ。
甘い認識の「六カ国協議」待望論を排す
伊藤 憲一
北京で開催された第一回米朝中韓日露「六カ国協議」が、さる八月二十九日に閉幕した。「成功だった」「失敗だった」と、世間では喧しいが、その前にそもそも「これは一体だれが何をやっている出来事なのか」という、だれも問題にしていない本質論をこそ、問題にしてみたい。そこから少なくとも全体を鳥瞰する戦略的大局観が出てくると思われるからである。「だれが何を」であるが、「主権国家が権力ゲームをやっている」というのが本質である。「とにかく話合いで、平和的、外交的に解決してほしい」という願望だけが過度に先行すると、冷静かつ客観的な状況判断が歪められ、結果的に事態をいっそう収拾困難なものとしかねない。
せっかく中国が議長総括としての「共通認識」を取りまとめても、翌日になると、帰国間際の北朝鮮代表が、平然として「(協議の継続には)興味も期待も持てない」と、これを切って捨てる。そこに「主権ゲーム」の赤裸々な本質が露呈されている。北朝鮮はそのような主権の至高性を極限まで主張している。いくら話し合ってみたところで、最後にはその意に反することを北朝鮮には押し付けられないというのが、六カ国協議の本質である。裁判官のいない法廷で被告が有罪を認めず、議事規則のない議会で少数派が妥協を拒否したとき、法廷も議会も無用の長物とならざるをえない。それが六カ国協議の宿命である。
十九世紀前半のヨーロッパはいわゆる「欧州協調」と呼ばれる英墺普露仏の五大国管理下にあり、ほとんどの問題は戦争によってではなく、外交によって解決されたが、それが可能であったのは、五大国が基本的価値観を共有していたからであった。フランスが「ナポレオンのフランス」であった間には不可能なことであった。金正日の北朝鮮を抱え込んだままでの「北東アジア協調」の可能性はもっとリアリズムの観点から考えなければならない。
私は「六カ国協議は破綻を運命づけられている」と言いたいためにこのようなことを述べているのではない。むしろ逆であって、私は六カ国協議の成功を強く望んでいる。しかし、そうであればこそ、現在広く行われているような甘い認識の六カ国協議待望論を有害であると見做すのである。「金正日は、法や正義や道理や人道によっては動かない。金正日の理解する言葉は力だけである」という、最低限の共通認識を確立しないかぎり、六カ国協議は成功しないし、そのような共通認識にたどり着くためのプロセスが六カ国協議なのだとすれば、そのために余りにも多くの時間が空費されることを恐れるのである。
国連安保理による経済制裁、米国を中心とする海上封鎖、そしてこれらに対する日韓中露の協力というものが現実性を帯びることなしに、六カ国協議が茶番劇以上のものになることはありえない。また、最終的な「北東アジア協調」は、金正日体制の(「転覆」とまでは言わないが)「変質」なしに不可能なことも自明である。
特に最後のところ。
甘い認識の「六カ国協議」待望論を排す
伊藤 憲一
北京で開催された第一回米朝中韓日露「六カ国協議」が、さる八月二十九日に閉幕した。「成功だった」「失敗だった」と、世間では喧しいが、その前にそもそも「これは一体だれが何をやっている出来事なのか」という、だれも問題にしていない本質論をこそ、問題にしてみたい。そこから少なくとも全体を鳥瞰する戦略的大局観が出てくると思われるからである。「だれが何を」であるが、「主権国家が権力ゲームをやっている」というのが本質である。「とにかく話合いで、平和的、外交的に解決してほしい」という願望だけが過度に先行すると、冷静かつ客観的な状況判断が歪められ、結果的に事態をいっそう収拾困難なものとしかねない。
せっかく中国が議長総括としての「共通認識」を取りまとめても、翌日になると、帰国間際の北朝鮮代表が、平然として「(協議の継続には)興味も期待も持てない」と、これを切って捨てる。そこに「主権ゲーム」の赤裸々な本質が露呈されている。北朝鮮はそのような主権の至高性を極限まで主張している。いくら話し合ってみたところで、最後にはその意に反することを北朝鮮には押し付けられないというのが、六カ国協議の本質である。裁判官のいない法廷で被告が有罪を認めず、議事規則のない議会で少数派が妥協を拒否したとき、法廷も議会も無用の長物とならざるをえない。それが六カ国協議の宿命である。
十九世紀前半のヨーロッパはいわゆる「欧州協調」と呼ばれる英墺普露仏の五大国管理下にあり、ほとんどの問題は戦争によってではなく、外交によって解決されたが、それが可能であったのは、五大国が基本的価値観を共有していたからであった。フランスが「ナポレオンのフランス」であった間には不可能なことであった。金正日の北朝鮮を抱え込んだままでの「北東アジア協調」の可能性はもっとリアリズムの観点から考えなければならない。
私は「六カ国協議は破綻を運命づけられている」と言いたいためにこのようなことを述べているのではない。むしろ逆であって、私は六カ国協議の成功を強く望んでいる。しかし、そうであればこそ、現在広く行われているような甘い認識の六カ国協議待望論を有害であると見做すのである。「金正日は、法や正義や道理や人道によっては動かない。金正日の理解する言葉は力だけである」という、最低限の共通認識を確立しないかぎり、六カ国協議は成功しないし、そのような共通認識にたどり着くためのプロセスが六カ国協議なのだとすれば、そのために余りにも多くの時間が空費されることを恐れるのである。
国連安保理による経済制裁、米国を中心とする海上封鎖、そしてこれらに対する日韓中露の協力というものが現実性を帯びることなしに、六カ国協議が茶番劇以上のものになることはありえない。また、最終的な「北東アジア協調」は、金正日体制の(「転覆」とまでは言わないが)「変質」なしに不可能なことも自明である。
これは メッセージ 94610 (sofiansky2003 さん)への返信です.