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金容淳書記が死去 対外実務、活動幅広く

投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2003/10/28 04:44 投稿番号: [91037 / 232612]
北朝鮮・金容淳書記が死去   対外実務、活動幅広く
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90年9月、平壌で、日朝国交正常化交渉開始で合意した3党共同宣言に署名後、握手する金容淳書記(右)
   ◇日朝交渉では、90年共同宣言に署名

   【ソウル澤田克己】26日に死去した北朝鮮の金容淳(キムヨンスン)書記(69)は、最高指導者である金正日(キムジョンイル)総書記の側近として長年、日朝や南北をはじめ対外関係の実務責任者の一人として活動してきた。だが、近年は対日関係の表舞台から姿を消すなど影響力は低下傾向にあった。韓国でも、南北関係に与える影響はほとんどないとの見方が有力だ。

   ◇金銭疑惑浮上、近年は影響力低下

   ラヂオプレス(東京)などによると、金書記は、北朝鮮のエリート養成機関である金日成(キムイルソン)総合大で国際関係論を学び、モスクワ大学に留学した国際派と評価された。駐エジプト大使や労働党国際部長を経て、94年、国交のない国との関係を担当する朝鮮アジア太平洋平和委員長への就任が判明して、対外活動を本格化。

   その間、92年1月には、訪米して、カンター米国務次官(当時)と会談し、現在も北朝鮮側が米国に要求し続ける、在韓米軍撤退と、朝鮮戦争休戦協定の「平和協定」への転換を、米国に直接伝える重要な役目を担った。

   対日関係では、自民、社会両党に太いパイプを築き、90年9月、両党との3党共同宣言に署名し、日朝国交正常化交渉開始の道筋を開いた。91年には党代表団を率いて訪日し、95年3月には、訪朝した自民、社会、さきがけの与党3党代表団と日朝国交正常化交渉の早期再開に合意した共同宣言に、労働党代表として署名した。

   その後も日朝間の「政党外交」を担ってきたが、99年12月に訪朝した村山富市元首相を団長とする訪朝団との会談に出たのが、対日外交で姿を見せた最後となった。その後、日朝関係は北朝鮮外務省が主導するようになり昨年の日朝首脳会談にも、金書記は「まったくタッチしていなかった」(日本外務省当局者)といわれた。

   南北関係では今年1月に金大中(キムデジュン)・韓国大統領(当時)の特使として訪朝した林東源(イムドンウォン)氏と会談するなど比較的最近まで登場していた。だが、日本や韓国で、金銭スキャンダルを抱えていたとの情報が流れるなど、影響力の低下は明らかだった。

   韓国統一省幹部は、00年の南北首脳会談後に南北関係が進展していることから「南北関係はすでに個人に依存するレベルを脱している。金書記の死去が、南北関係に影響を与えることはない」と断言している。

   ◇国家外交に流れ移行し力衰え−−鈴木典幸・ラヂオプレス理事の話

   金容淳書記は、対日外交の初期段階で3党共同宣言(90年)やコメ支援問題で果たした役割は大きいが、時代が政党外交から国家外交へ移行する流れの中で力が衰えていた。彼の死去は、日朝や南北関係に大きな影響を与えることはないが、政治家に働きかけるという外交スタイルの終わりを示す象徴的な出来事といえる。

   金書記は、金正日総書記の側近で、同行回数は書記の中でトップランクだった。金総書記は、金書記の大胆な性格や積極的な行動力を評価し、気に入っていたとみられる。

   しかし、00年以降は金剛山観光を中心とする対南関係に専念する形で対日関係から退いていた。死去報道は、5番目のニュースで報じられ、書記クラスとしては普通だが、過去の対日関係の業績と比べると大きな扱いとは言えない。

http://www.mainichi.co.jp/news/article/200310/27e/062.html
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