曽我ひとみさん心情を吐露 全文掲載
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2003/10/05 07:29 投稿番号: [89268 / 232612]
世界で一番大切な家族…もう、1人は嫌です。
北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさん(四四)が、十五日で帰国から丸一年を迎えるのを前に、夫や娘二人との生活を切望する手記を共同通信に寄せた。家族と離れ離れになったつらさを率直に表現している。
手記は、新潟県真野町で一人暮らしをしている曽我さんが鉛筆でつづった。四百字詰め原稿用紙で三枚半分あった。
「二度目の秋」と題し「日本に帰って、もう二度目の秋です」「でも今年の秋は嫌いです。寂しすぎます。もう一人は嫌です」などと、心情が吐露されている。
全文は次の通り。
◇
二度目の秋
もう一年という月日が、流れようとしている。わたしにとって結婚してから、こんなに長く一人になったのは、初めてだった。日本に帰って、もう二度目の秋です。
前は、秋が大好きでした。静かで、ちょっぴり寂しくて、山も空も、とってもきれいだからです。でも今年の秋は嫌いです。寂しすぎます。もう一人は嫌です。
今まで朝から晩まで四人一緒に暮らしていたわたしたち家族。この一年家族(かぞく)という、この、たった三文字の意味を痛いほど考えました。今まで、家族は一緒にいて当たり前と思っていたわたし。
そんなわたしにとって一年間という日々は、とても悲しく、寂しく、気持ちの重い日々でした。
そんな中で唯一のうれしい事は、父や妹、友達や親せき、佐渡の人々、日本中の方々の温かい応援でした。家族のきずなの大切さを、体で十分に感じることができました。いろいろな機会があり、人と接する時もたくさんありました。
話をしながら、ふと家族の事を思い出すと急に涙が出てくる時もありました。しかし、人の前では、涙を見せることは嫌いでした。その時には、冗談交じりの話でごまかしたりもしました。
店で買い物をしていても「これおいしそうだな、帰ってきたら食べさせてあげたい。美花はこれが好きだったな、ブリンダはあれが好きだったな。あなたにはこれを作ってあげたい」と思うと、胸はまた熱くなります。
わたしにとって悲しい時、寂しい時、いつでもそばで、やさしくしてくれ、時には強くしかってくれて、慰めながら、喜び、悲しみを四人で分け合いながら、二十四年間を乗り越えてきました。わたしにとって一番幸せで楽しい時は、三人の笑顔を見ている時でした。
そして一年四回の誕生日でした。大したごちそうはない。しかし四人はそれぞれ、小さなプレゼントをいつも用意した。プレゼントをもらった時のうれしさ。
プレゼントを渡し、喜ぶ顔を見る時、こうして年四回の誕生日、誕生日ケーキ。クリームをつけて上には、おめでとうと書いた。みんなおいしいと言って食べてくれた。
こうして、小さな物でも、プレゼントをする事によって一人一人が家族の大切さを知り、忘れないようにもっともっとみんなで愛し合い、幸せに暮らそうと思っている。それが、わたしの家の一年の行事でもあった。
「大したことないじゃないの。わたしの家でもやっているよ」と思うかもしれません。
しかしわたしの家族は、こんな運命の中、偶然に出会い、知らない土地での生活、その中で芽生えた愛、そして、かけがえのない子供。そんな中で築き上げた、とても、とても大切な家族。世界で一番大切な家族…。
ある日、子供の誕生日の二日前に、渡せないと分かっていながらも、誕生日のプレゼントを買いに行きました。「六月一日。美花、誕生日おめでとう。もう二十歳だね。今日は一緒にいられなくて許してちょうだい。来年は、みんなで楽しい誕生日にしようね」。
そして「七月二十三日。ブリンダ、誕生日おめでとう。お姉ちゃんを助けて仲良くしてね。来年は、ママの手作りのケーキをみんなで一緒に食べようね」。この気持ちがきっと伝わればいいのに、と思うばかりです。
とにかくみんな元気でいることが一番。ママの作った食事と一年分の誕生日を、全部一緒にやりましょうね。それまでとにかく元気でいてください。心より愛している家族へ。心を込めて…。
(10/05)
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_56_1.htm
北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさん(四四)が、十五日で帰国から丸一年を迎えるのを前に、夫や娘二人との生活を切望する手記を共同通信に寄せた。家族と離れ離れになったつらさを率直に表現している。
手記は、新潟県真野町で一人暮らしをしている曽我さんが鉛筆でつづった。四百字詰め原稿用紙で三枚半分あった。
「二度目の秋」と題し「日本に帰って、もう二度目の秋です」「でも今年の秋は嫌いです。寂しすぎます。もう一人は嫌です」などと、心情が吐露されている。
全文は次の通り。
◇
二度目の秋
もう一年という月日が、流れようとしている。わたしにとって結婚してから、こんなに長く一人になったのは、初めてだった。日本に帰って、もう二度目の秋です。
前は、秋が大好きでした。静かで、ちょっぴり寂しくて、山も空も、とってもきれいだからです。でも今年の秋は嫌いです。寂しすぎます。もう一人は嫌です。
今まで朝から晩まで四人一緒に暮らしていたわたしたち家族。この一年家族(かぞく)という、この、たった三文字の意味を痛いほど考えました。今まで、家族は一緒にいて当たり前と思っていたわたし。
そんなわたしにとって一年間という日々は、とても悲しく、寂しく、気持ちの重い日々でした。
そんな中で唯一のうれしい事は、父や妹、友達や親せき、佐渡の人々、日本中の方々の温かい応援でした。家族のきずなの大切さを、体で十分に感じることができました。いろいろな機会があり、人と接する時もたくさんありました。
話をしながら、ふと家族の事を思い出すと急に涙が出てくる時もありました。しかし、人の前では、涙を見せることは嫌いでした。その時には、冗談交じりの話でごまかしたりもしました。
店で買い物をしていても「これおいしそうだな、帰ってきたら食べさせてあげたい。美花はこれが好きだったな、ブリンダはあれが好きだったな。あなたにはこれを作ってあげたい」と思うと、胸はまた熱くなります。
わたしにとって悲しい時、寂しい時、いつでもそばで、やさしくしてくれ、時には強くしかってくれて、慰めながら、喜び、悲しみを四人で分け合いながら、二十四年間を乗り越えてきました。わたしにとって一番幸せで楽しい時は、三人の笑顔を見ている時でした。
そして一年四回の誕生日でした。大したごちそうはない。しかし四人はそれぞれ、小さなプレゼントをいつも用意した。プレゼントをもらった時のうれしさ。
プレゼントを渡し、喜ぶ顔を見る時、こうして年四回の誕生日、誕生日ケーキ。クリームをつけて上には、おめでとうと書いた。みんなおいしいと言って食べてくれた。
こうして、小さな物でも、プレゼントをする事によって一人一人が家族の大切さを知り、忘れないようにもっともっとみんなで愛し合い、幸せに暮らそうと思っている。それが、わたしの家の一年の行事でもあった。
「大したことないじゃないの。わたしの家でもやっているよ」と思うかもしれません。
しかしわたしの家族は、こんな運命の中、偶然に出会い、知らない土地での生活、その中で芽生えた愛、そして、かけがえのない子供。そんな中で築き上げた、とても、とても大切な家族。世界で一番大切な家族…。
ある日、子供の誕生日の二日前に、渡せないと分かっていながらも、誕生日のプレゼントを買いに行きました。「六月一日。美花、誕生日おめでとう。もう二十歳だね。今日は一緒にいられなくて許してちょうだい。来年は、みんなで楽しい誕生日にしようね」。
そして「七月二十三日。ブリンダ、誕生日おめでとう。お姉ちゃんを助けて仲良くしてね。来年は、ママの手作りのケーキをみんなで一緒に食べようね」。この気持ちがきっと伝わればいいのに、と思うばかりです。
とにかくみんな元気でいることが一番。ママの作った食事と一年分の誕生日を、全部一緒にやりましょうね。それまでとにかく元気でいてください。心より愛している家族へ。心を込めて…。
(10/05)
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_56_1.htm
これは メッセージ 89265 (sofiansky2003 さん)への返信です.