売国内閣の源泉3
投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/23 23:02 投稿番号: [88031 / 232612]
それ以降、大阪では吹田事件、東京では宮城前の血のメーデー事件が起こることになります。デモ隊が流れ込んで宮城前を血に染めたこの事件ではかなりの人が負傷したり、逮捕されたりしました。今でもあの時の写真を見てごらんなさい。先頭に共和国(朝鮮民主主義人民共和国)の旗が翻っています。警官隊の壁を実力突破する先頭に立ったのは朝鮮人なんです。それから名古屋の大須事件ですね。これらはみな、先ほどの方針から出ているわけです。みんな本気でパルチザン闘争をやるつもりだったわけです。最近、宮本顕治氏が言ったところによれば、「中国共産党がこれを強制した」というわけですね。中国共産党によれば、革命後まだ間もない時期であったので、アメリカの力が中国に集中するのを防ぐために、アジア各国の共産党にあえてこのような闘争を要求して、その力を分散させようとしたのでしょう。当時アジアの共産党は、中国革命を守るのが国際主義的義務と言われていましたから。そこで日本も本気でやろうとしたわけです。
暴動は彼ら自身が認めています
「韓国・朝鮮人と日本人」
若槻泰雄
89年
原書房
「朝連」と日本共産党
一般犯罪のほかに、在日朝鮮人に対する日本人の嫌悪感、警戒感を強めさせたものに、北鮮系の活発な政治運動がある。在日朝鮮人は終戦の秋10月、「在日朝鮮人連盟」という自治団体を結成した。この団体は、当時在日朝鮮人社会の最大の問題であった本国への引揚げを主とし、日本人、朝鮮人間の摩擦防止、同胞の福利厚生などを目的としたもので、当初は社会事業団体的性格をおびたものであったという。しかし、徳田球一、金天海らの日本共産党幹部らの政治犯がいっせいに出獄してこれを指導するにおよび、「朝連」は急速に民族主義運動、さらには革命的、暴力的傾向に傾斜していった。もともと、朝鮮独立運動と日本共産党との関係は戦前から深いものがあった。労働者の解放、植民地の解放、そしてその連帯をモットーとする国際共産主義運動は、第二次大戦後各国植民地の独立運動に多くの実例を見るように、植民地解放運動に甚大な影響力をもっていた。日本共産党の綱領にも「(日本のすべての)植民地の完全独立」がうたわれていた。日本の革命と朝鮮の独立は一体のものと理論づけられていたのである。
これは メッセージ 88021 (nishitokyolions さん)への返信です.
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