売国内閣の源泉2
投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/23 23:00 投稿番号: [88029 / 232612]
「体験で語る解放後の在日朝鮮人運動」
姜在彦
1989年
神戸学生青年センター出版部
(1951年1月に非合法的に結成された民戦に対する日本共産党の指導方針が出され)
在日朝鮮人は日本の中の少数民族であり、日本革命の同盟軍であるとされたわけです。したがって、日本革命を成し遂げることなしには、在日朝鮮人の問題は何一つ解決できないとされたわけです。だから我々は、日本共産党員として、まさに日本の革命をやることが、朝鮮の革命と在日同胞の地位向上に寄与することになるんだと考えたわけです。
(中略)
この時の在日朝鮮人の運動について書いたものに、鄭東文氏の「転換期に立つ朝鮮人運動」(日本共産党関西地方委員会、1949年10月)があります。この鄭東文という人は、共産党の民族対策部の人で、中央委員会のメンバーの一人でした。「転換期に立つ朝鮮人運動」は、少数民族は独自の中央組織を持つ必要はない、各地域の組織に属して日本の組織と連帯し、日本の革命を遂行すべきだ、と言うようなことを述べています。だから実際、朝連(在日本朝鮮人連盟)が解散させられたのち、皆地域の朝鮮人協会であるとか、学校のPTAにはいれ、ということが言われていました。そしてPTAを革命化せよ、地域を革命化せよ、という、読み方によっては、朝連解散を喜んでいるようにも取れる方針でした。だから、少数民族の組織というものはすべて末端の組織において日本人と連帯しながら、まず第一に日本革命を遂行するのに大一義的目標をおくべきだ、というものでした。
他方、民戦(在日本朝鮮統一民主戦線)は次第に公然化してきます。そして、非公然組織として祖国防衛委員会(祖防委)、その傘下に祖国防衛隊(祖防隊)が作られました。当時の在日朝鮮人の組織の中ではこの祖防隊が中核的な役割を果たし、民戦はこの中核を包むオブラートのような組織でした。
祖防委は、(1)日本が朝鮮戦争の基地になっており、戦争で使われる米軍兵器を修理していたことから、それを中止させ、しかも輸送を阻止する実力行動を行う。(2)親子爆弾(北朝鮮に向けて殺戮兵器として使われた爆弾)が大阪、特に在日朝鮮人の零細企業でたくさん造られていたことから、これを阻止する、というような中核的なことをしておりました。このような在日朝鮮人の動きがあった一方で、1951年10月、日本共産党は第五次全国協議会を開き、軍事方針を決定することになります。これにより、朝鮮人の祖防委と日本共産党中核自衛隊で、パルチザン闘争を準備することとなります。
これは メッセージ 88021 (nishitokyolions さん)への返信です.
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