小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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武志さんは優秀な“人質”

投稿者: sa_bo_ten_02 投稿日時: 2003/09/20 16:52 投稿番号: [87441 / 232612]
北國新聞   「建国55年の北朝鮮   隣人は今」
投稿者 trycomp 投稿日時 2003-9-20 6:14:04 (142 ヒット)


建国55年の北朝鮮   隣人は今
欺瞞
武志さんは優秀な“人質”   待遇向上に拉致の影


四日付けの朝鮮労働党機関誌「労働新聞」に掲載された写真には、最高人民会議で選ばれた“新閣僚”がずらりと並んだ。寺越武志さんがこのうちの二人を指差し、自慢げに語った。「二人とは同じアパートに住んでいる。あいさつしたこともある」。それは、武志さん一家が特権階級である最高人民会議の幹部と近い生活水準にあることを意味していた。


金正日総書記が拉致を認めた日朝首脳会談から一年。武志さんは平壌市内の高級アパートの物置に約百キロの米を蓄えているほか、国内で貴重な牛乳の配給も受けている。二年前に石川県から移り住んだ父太左ヱ門さんには、特別配給のスイカやバナナも届く。妻公玉順さんと長女敬淑さんは体重が増え、ややぽっちゃりとしている。二ヶ月ぶりに訪朝した母友枝さんも目を丸くしたほどだ。
 
武志さんの生活環境が大きく変化するとき、そこには拉致問題の影響が色濃くにじむ。日本海で行方不明となった武志さんの生存が確認され、親子が二十四年ぶりに再会した1987(昭和62年)年、武志さんは平壌から北へ車で約三時間かかる亀城市で暮らしていた。これが十年後に劇的に変わった。
 
友枝さんは武志さんとの再会後、横田滋、早紀江さん夫妻ら拉致被害者の家族のグループに加わり、拉致解明と一事帰国の運動を始めたが、武志さんの頼みもあって数ヶ月で退会した。それから間もなく、武志さんは平壌市職業総同盟副委員長に就いた。異例の抜てきだった。
 
滞在中、武志さんが二十七年間暮らした亀城を訪ねたが、平壌を出発して一時間ほど車を走らせると、舗装されていない泥道に変わり、亀城に入ると、汚れや痛みが激しく廃屋と見間違えそうなアパートや家が並んでいた。武志さんがかつて住んでいたという五階建てのアパートはふろ場がなく、近くの川で行水をするだけ。用を足すのは建物を離れた共同トイレだった。
 

武志さんは北朝鮮にとって、まるで優秀な“人質”のようでもあった。同じ漁船でともに行方不明となり、北朝鮮で死亡したとされる叔父寺越昭二さんの親族が拉致認定を求める一方、拉致問題で北朝鮮批判が高まれば高まるほど、国家の思惑で待遇が向上してきた。その武志さんがつぶやいた。「俺一人が犠牲になれば、(家族の)みんなが幸せになれる」。
 
拉致という重大な国家犯罪を犯し、武志さんの人生をもてあそぶ北朝鮮。罪と欺瞞に満ちた“隣人”は基本的に何も変わっていなかった。(北國新聞   9月19日)

電脳補完禄より
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=1044
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