バッジのない国会議員は、逮捕できる。
投稿者: inakamonodemisawa 投稿日時: 2003/09/10 18:33 投稿番号: [86120 / 232612]
<政界引退>野中氏、反小泉が「最後の狙撃」に
77歳の野中広務氏はかつて、国会議員としての自分を「人生の付録」と語っていた。青年団運動を経て25歳で京都府園部町議になり、33歳で町長、41歳で京都府議、53歳で副知事と、地方政界の階段を上りつめ、地元にある重度身障者施設の運営に「余生をささげようとしていた」ためだ。
衆院初当選は57歳。中央政界では遅咲きだったが、自民党の野党時代、予算委員会を舞台に細川政権を攻撃する舌鋒の鋭さで頭角を現した。
当時の野中氏を駆り立てていたのは、政敵・小沢一郎氏へのおん念。村山政権で初入閣(自治相)後に出版した著書「私は闘う」には小沢氏について「私の死後明らかになるよう書き残しておいている」との記述まである。幹事長だった森喜朗氏を「政治家としての資質を疑う」と論難したこともあった。いつしか「政界の狙撃手」の異名を取るようになる。
自分より序列が上と見られる政治家に挑み、捨て身の攻撃を仕掛けることで力をつけるのが野中流だ。その手法は、旧小渕派の実力者だった故梶山静六元官房長官に対しても向けられた。
97年4月、野党新進党の賛成を得て沖縄特措法改正案が衆院を通過する際、梶山氏と小沢氏とによる「保・保」連合のにおいを嗅ぎ取った野中氏は「今回の審議が再び大政翼賛会的にならないよう、若い皆さんにお願いしたい」と本会議場で訴え、くぎを刺した。
しかし、98年参院選で自民党が惨敗した後、小渕内閣の官房長官に就任した野中氏は、参院での過半数割れに苦しみ、かつて「悪魔」呼ばわりした小沢自由党との自自連合、さらに自自公「巨大与党」の結成に踏み切る。この際に吐いたのが「小沢氏にひれ伏してでも」のセリフ。自ら「大政翼賛会」的な与党構成を進めたことから、変節漢の批判を招いた。
村山政権から橋本、小渕、森政権での約7年間、野中氏は政局のキーマンであり続けた。森政権の樹立を密議した「五人組」の一人であり、01年4月の総裁選では本人の出馬も取りざたされた。しかし、同総裁選を経て生まれた小泉内閣は、野中氏を取り巻く政治環境を一変させた。
小泉純一郎首相は野中氏の影響下にある郵政3事業の民営化を打ち上げ、野中氏を「抵抗勢力のドン」に仕立て上げた。さらに小泉首相の電撃的な訪朝で拉致被害の実態があらわになったことは、長く北朝鮮とのパイプ役だった野中氏を追い込んだ。社会的弱者に心を配る野中氏の一面も、かすみがちだった。
「独裁者」と反発する野中氏に「嫌なら私を代えればいい」と受け流す小泉首相。その小泉氏の総裁再選が濃厚になる中、野中氏は引退表明によって「最後の狙撃」を試みたのかもしれない。【古賀攻】(毎日新聞)
[9月10日1時22分更新]
これは メッセージ 86119 (inakamonodemisawa さん)への返信です.
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