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万景峰号の寄航と「むつ」の寄港拒否

投稿者: usotuken21 投稿日時: 2003/09/06 11:34 投稿番号: [85403 / 232612]
  なぜ、日本の船が寄港拒否が許されず、外国船を拒否できないのか??
  おかしなに日本!2重の基準!!!運輸省の法令解釈・運用はどうなってるだろう!!

母港は、どこに・・・。神戸で建造されていたが、母港候補地にしていた横浜市に断られて、大慌て。「国際貿易港の横浜には危険な原子力船なんかイラナイ」と言ったかどうかは知らないが、断られて白羽の矢を射されたのが「むつ市」。1967年、むつ市大湊港を原子力船定係港候補地とすると政府が決定。同年の11月、竹内青森県知事が同意した。1969年4月19日が進水式、原子力船「むつ」と命名された。原子力船「よこはま」であれば、違う形で反対運動が展開され、もっと早く原子力の終焉が来ていたと思うのだが・・・。

強行出航、そして・・・漂流。大湊港はむつ湾内に面し、当時はホタテ養殖が軌道に乗り始めた時期であったから、県魚連が湾内や漁場周辺での出力上昇試験に猛反対。「むつ」は漁船に十重二十重に囲まれて出航を阻止されていた。しかし、台風による高波もあり「むつ」も出航はしないだろうと、囲んでいた漁船が引き上げたあと、1974年8月26日午前零時30分出航してしまった。そして9月1日、出力上昇試験、最大出力の1.4%で中性子線の異常を検知した、原子炉の遮蔽体の設計ミスで中性子が漏れたのだ。たった24分の実験で最初の出力上昇試験は終った。「こんな危険な原子力船は入港させるわけにいかない」、当然である、「ディーゼルエンジン」船「むつ」は大湊へ帰れずに乗組員を乗せたまま漂流状態になった。「新しい定係港を造り、大湊港は撤去する」との4者協定締結で、10月15日乗組員はやっと陸に上がった。
  原子力船開発を諦めきれない国は、遮蔽体の回収をして実験を続けようとしたが改修工事の引き受け先が見つからず、「動けなかった船」が長崎県佐世保港に入ったのは4年後の1978年であった。

大湊へ回航、そして関根浜へ。佐世保で改修工事を終えて大湊へ回航されたときの事を今でも鮮明に覚えている。反対派は「むつ」が係留される対岸の大平岸壁に集結したが、水平線の彼方からマストの先端が見え始め、それが1隻ではなく「太平洋艦隊」をイメージさせるような軍団であった事に驚いた。もちろん「むつ」は軍艦ではなく、周囲を護衛する船も海上保安庁の船なのだが、入港妨害は「国の威信」にかけても許さないという「国家権力」が露骨であった。大湊港は撤去し、同じ「むつ市」でも外洋に面した津軽海峡側の「関根浜」に新母港を建設するという5者協定を受けての入港であったが、補助金は今までと同様にむつ市に交付される点が行政側にとっての旨みである。交付金欲しさに嫌がるものでも引受けようという構図は、使用済み核燃料中間貯蔵誘致へと繋がってゆくものである。正組合員の水増しで賛成側が多数となった漁協総会で関根浜への受け入れが決まり、「むつ」は実験航海を終えたら廃船とする事も決まり、1988年関根浜の新母港へ回航された。
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