在日のルーツは半分以上が密航者
投稿者: usotuken21 投稿日時: 2003/09/03 21:06 投稿番号: [84947 / 232612]
在日自らが語る密入国
『トロク組とドンブリ組』
「在日韓国朝鮮人 -若者からみた意見と思いと考え-」 金容権・李宗良編 1985年 三一書房
「在日」と密入国 元秀一 (灰色文字は管理人注)
在日朝鮮人を形成するのははたして<トロク組>だけだろうか。<トロク組>とは外国人"登録"証を所持して日本に合法的に居住できる朝鮮人をさす。では、あえて<トロク組>とかっこでくくるからにはそれと対になるものがあると考えられはしないか。それこそが<ドンブリ組>にほかならない。密航船に乗って日本に"どんぶりこ"した朝鮮人を抜きに在日とはなにかと発問したところでそらぞらしさだけが残る。
(中略)
では、次に<ドンブリ組>の実態論に移ってみることにしよう。一体に、<ドンブリ組>の大半が済州島出身ということは何を意味するのか。このことは済州島を故郷に持つ在日朝鮮人が大阪市(とりわけ生野区)を中心に9万人にのぼることと無関係ではない。日常性のひだに裂けた暗闇から日帝時代<君が代丸(大阪―済州島航路の客船)>に乗船していち早く日本に「金儲け(トンボリ)」しに来なければならなかった歴史性が浮上する。日帝時代の生活苦という鬼神が解放後なお跋扈し済州島の人間をして「金儲け(トンボリ)」するべく日本にかりたてている。たいがいは大阪市(とりわけ生野区)を中心に偏在する縁故を頼っての密入国だ。もっとも、<ドンブリ組>の密航目的は「金儲け(トンボリ)」だけに限定されるものではない。「金儲け(トンボリ)」を密航目的のその一つとして次にその他の目的を列挙してみる。
そのふたつ。「1948年4月、アメリカの強行による南朝鮮だけの単独選挙、単独政府樹立に反対して立ち上がった済州島4・3武装蜂起」(金石範「在日の思想」)が動因で引き起こされた虐殺から逃れた「難民、亡命者といった性質」をもつ密航。このケースでは解放された祖国に帰ったものが多数ふくまれている。日本への逆流現象。金石範氏は「現在の在日朝鮮人のあり方を規定したともいえるだろう」(「在日の思想」)と指摘している。
そのみっつ。アメリカのベトナム侵略が泥沼化したことで韓国政府がベトナム派兵を決定した1965年以降現れた「徴兵忌避」を目的とした密航。ほかに「離散家族の再会・同居」「思想的に拘束を受けない日本の大学での勉学」「病気治療」など。
さて、「法務省の推定では、数万人の密航者が、息をひそめるように生活しているといわれる」(朝日新聞84年3月7日「検証」)。生野区およびその周辺で育った在日朝鮮人の記憶にはなんらかの形で<ドンブリ組>の存在が影絵のようにゆらいでいるはずだ。ここではいくつかの記憶を発掘してみたい。(後略、密航者の来日動機や生活の実態が4例記されている)
外国人登録証を所持している<トロク組>といえども不正な手段で入手した密入国者もいる。以下、佐藤勝己著「在日韓国・朝鮮人に問う」1991年亜紀書房発行から
『ゆうれい登録証が大量に存在し、ある時期、対馬に登録証の製造工場があったといわれている… 敗戦直後日本から帰国した朝鮮人が再度日本に手続きなしで入国、それらの人に登録証が裏で売買された』
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『(不法)入国した際の外国人登録証明は暴力と買収につきるといわれ、それがそのまま合法化する場合が多いようだ』 産業経済新聞(産経)昭和25年(1950年)6月28日朝刊 から
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Link 朝鮮新報 / やさしい法律相談 Q&A から
『本名、本籍や本当の生年月日が外国人登録と異なることが在日同胞の場合、多々あります』 『実は私も朝鮮学校に通っていた時代には「尹(ユン)」という氏を使用していました。戦後、父が密航で日本にやってきて、他人の外国人登録を買ったためでした。そのため、親族と会うときは「洪(ホン)」の氏を使用し、学校では「尹」の氏を使用しました』
朝鮮人の密航は戦後始まったのではなく内地への渡航制限をしていた戦前からあったのだ。
「朝鮮人強制連行の記録」 朴慶植 1965年 未来社
1921―30年の渡航、帰還、居住人口は上表の通りである。(表省略)しかしこの数字以外に、渡航阻止制度のため証明書なしに、いわゆる「密航」したため送還された者が相当多い。1925年10月―1930年末に14万4839人の多きに上っている。
「在日韓国朝鮮人 -若者からみた意見と思いと考え-」 金容権・李宗良編 1985年 三一書房
「在日」と密入国 元秀一 (灰色文字は管理人注)
在日朝鮮人を形成するのははたして<トロク組>だけだろうか。<トロク組>とは外国人"登録"証を所持して日本に合法的に居住できる朝鮮人をさす。では、あえて<トロク組>とかっこでくくるからにはそれと対になるものがあると考えられはしないか。それこそが<ドンブリ組>にほかならない。密航船に乗って日本に"どんぶりこ"した朝鮮人を抜きに在日とはなにかと発問したところでそらぞらしさだけが残る。
(中略)
では、次に<ドンブリ組>の実態論に移ってみることにしよう。一体に、<ドンブリ組>の大半が済州島出身ということは何を意味するのか。このことは済州島を故郷に持つ在日朝鮮人が大阪市(とりわけ生野区)を中心に9万人にのぼることと無関係ではない。日常性のひだに裂けた暗闇から日帝時代<君が代丸(大阪―済州島航路の客船)>に乗船していち早く日本に「金儲け(トンボリ)」しに来なければならなかった歴史性が浮上する。日帝時代の生活苦という鬼神が解放後なお跋扈し済州島の人間をして「金儲け(トンボリ)」するべく日本にかりたてている。たいがいは大阪市(とりわけ生野区)を中心に偏在する縁故を頼っての密入国だ。もっとも、<ドンブリ組>の密航目的は「金儲け(トンボリ)」だけに限定されるものではない。「金儲け(トンボリ)」を密航目的のその一つとして次にその他の目的を列挙してみる。
そのふたつ。「1948年4月、アメリカの強行による南朝鮮だけの単独選挙、単独政府樹立に反対して立ち上がった済州島4・3武装蜂起」(金石範「在日の思想」)が動因で引き起こされた虐殺から逃れた「難民、亡命者といった性質」をもつ密航。このケースでは解放された祖国に帰ったものが多数ふくまれている。日本への逆流現象。金石範氏は「現在の在日朝鮮人のあり方を規定したともいえるだろう」(「在日の思想」)と指摘している。
そのみっつ。アメリカのベトナム侵略が泥沼化したことで韓国政府がベトナム派兵を決定した1965年以降現れた「徴兵忌避」を目的とした密航。ほかに「離散家族の再会・同居」「思想的に拘束を受けない日本の大学での勉学」「病気治療」など。
さて、「法務省の推定では、数万人の密航者が、息をひそめるように生活しているといわれる」(朝日新聞84年3月7日「検証」)。生野区およびその周辺で育った在日朝鮮人の記憶にはなんらかの形で<ドンブリ組>の存在が影絵のようにゆらいでいるはずだ。ここではいくつかの記憶を発掘してみたい。(後略、密航者の来日動機や生活の実態が4例記されている)
外国人登録証を所持している<トロク組>といえども不正な手段で入手した密入国者もいる。以下、佐藤勝己著「在日韓国・朝鮮人に問う」1991年亜紀書房発行から
『ゆうれい登録証が大量に存在し、ある時期、対馬に登録証の製造工場があったといわれている… 敗戦直後日本から帰国した朝鮮人が再度日本に手続きなしで入国、それらの人に登録証が裏で売買された』
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『(不法)入国した際の外国人登録証明は暴力と買収につきるといわれ、それがそのまま合法化する場合が多いようだ』 産業経済新聞(産経)昭和25年(1950年)6月28日朝刊 から
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Link 朝鮮新報 / やさしい法律相談 Q&A から
『本名、本籍や本当の生年月日が外国人登録と異なることが在日同胞の場合、多々あります』 『実は私も朝鮮学校に通っていた時代には「尹(ユン)」という氏を使用していました。戦後、父が密航で日本にやってきて、他人の外国人登録を買ったためでした。そのため、親族と会うときは「洪(ホン)」の氏を使用し、学校では「尹」の氏を使用しました』
朝鮮人の密航は戦後始まったのではなく内地への渡航制限をしていた戦前からあったのだ。
「朝鮮人強制連行の記録」 朴慶植 1965年 未来社
1921―30年の渡航、帰還、居住人口は上表の通りである。(表省略)しかしこの数字以外に、渡航阻止制度のため証明書なしに、いわゆる「密航」したため送還された者が相当多い。1925年10月―1930年末に14万4839人の多きに上っている。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.