>>朝鮮人と日本人が似てる?
投稿者: usotuken21 投稿日時: 2003/09/02 17:16 投稿番号: [84826 / 232612]
韓国併合を非難する人は、李朝時代が豊かで平和な楽園であったとでも思っているのであろうか?
李朝末期の朝鮮は政治が乱れに乱れていた。役人や両班は自らの栄達と蓄財のみを求めて、弱い民衆を搾取することだけしか考えていなかった。そのため社会道徳が乱れて、精神も、文化も、経済も疲弊していた。
「韓国 堕落の2000年史」 崔基鎬 平成13年 詳伝社
両班に収奪される民衆の怨嗟の声
李氏朝鮮の、民衆に対する収奪がいかに苛酷なものであったか、文学にも表われている。李氏朝鮮末期の代表的な知識人だった李人稙(1862-1916年)が、『血の涙』という詩をつくっている。
両班たちが国を潰した。
賤民は両班に鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平をいえない。
少しでも値打ちがある物を持っていれば、両班が奪ってゆく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、まったく無力な賎民は、自分の財産、妻だけではなく、
生命すらその気ままに委ねられている。
口ひとつ間違えればぶっ叩かれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない」
(『韓国現代史』第8巻、新丘文化社、ソウル)
(中略)
丁若[金+庸]が、流刑地の全羅南道の康律で、地方役人の事蹟を収録した『牧民心書』は、今日も評価が高い。地方の役人の百姓に対する苛斂誅求の甚だしさを、ありのままに記録している。一例を挙げると、兵役税の名目で、兵員1人を徴集する時に、5、6人に令状を出して、余分の人員から徹底的に金を徴収して、役人が着服した。たとえば一家に祖父と父と孫が同居していて、祖父が兵役に耐えられない老齢でも、孫が5、6歳で幼かったとしても、きっちり人数分の兵役税が徴取された。なかには、子どもが多く、税金を納められない貧しい家の主人が鋏で自らの性器を切断し、それを妻が陳情目的で役所に届けたが、門前払いされたなどという悲しい話もある。518年間続いた李氏朝鮮も、北朝鮮のこれまでの56年間の歴史も、中国の悠久の歴史も、残酷きわまる流血の歴史である。百姓を奴隷の境遇に転落させ、文字どおり限りない収奪と、大量の餓死が繰り返された。
「韓国人、大反省」 1993年 金容雲 徳間書店
そのころの地方官吏の横暴ぶりはとても口では表現できぬくらいだった。とりわけ軍の乱れと腐敗は酷かった。民衆を軍にかりだす過程で、金のあるものは穀物や木綿を差し出して徴兵を免れたが、これが次第に制度化するにつれ、村の頭や役人がありとあらゆるサギを働くようになったのである。子を孕むと、まだ生まれないうちから子を軍籍に入れ、子犬や牛にまで名前をつけて軍籍簿に書きこんで、税を取り立てるありさまだった。
丁若[金+庸]の代表作、『牧民心書』には、当時の現実と軍政の乱れを詠んだ詩が載っている。
. 葦原の若い女の泣き声も寂し
懸門に向かって泣き叫び、天を仰いで訴える
男女が夫婦とならざるは法のなせるわざ
昔(いにしえ)より男絶陽は聞いたこともなし
上の詩を書いた動機が同書に、次のように詳しく説明されている。これは1803年秋、私が康津にいる時に作ったものである。芦原に住む男に子ができて三日後、もうその赤ん坊は軍の名簿に編入され、その子が徴兵に応じられない代償として牛をとられた。男は刀で自分の男根を切り取って『わしはこいつのおかげで酷い目に会う』と嘆いた。妻が夫の男根をもって官庁に抗議をしに行くが、まだ血がたらたらと流れている。泣いて訴える彼女に、門番は非情に立ちふさがったという。私はその話を聞いて、この詩を作った。
官吏は腐敗し、民衆は無力だった。兵営には無能な将兵しかおらず、武器はサビついていた。匠人(職人)も、意欲ある商人も見られなかった。皆が惰眠をむさぼり、ただ日々に流されていた。先覚者の丁若(金+庸)はこのような事実を直視した。彼は朝から晩まで筆をとり、現実の矛盾を告発しつづけた。しかしその声は、ぐっすりと眠っている人たちを目覚めさせる警鐘となるほど大きくはなかった。
(中略)
日本は韓日併合の20年前に、すでに鋭い目で李朝の実状を観察していた。日本のあるスパイは、朝鮮政府が実際に消費する金は日本の金で300万円程度であるが、国民の出す税金の総額はその10倍以上であることを調べだした。国庫へ入る金以外、つまり10分の9の金は言うまでもなく官吏が横取りしていたのである。この日本のスパイは、朝鮮の悪徳官吏が横領した金をそのまま国庫へ納めれば、李朝の人心はきっと日本へ向かうとにらんだ。言わば、李朝の腐敗が日本の侵略を呼んだわけだ。鎖国により外国の目を避けることばかり考えて、内部の自立と自覚をないがしろにした
「韓国 堕落の2000年史」 崔基鎬 平成13年 詳伝社
両班に収奪される民衆の怨嗟の声
李氏朝鮮の、民衆に対する収奪がいかに苛酷なものであったか、文学にも表われている。李氏朝鮮末期の代表的な知識人だった李人稙(1862-1916年)が、『血の涙』という詩をつくっている。
両班たちが国を潰した。
賤民は両班に鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平をいえない。
少しでも値打ちがある物を持っていれば、両班が奪ってゆく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、まったく無力な賎民は、自分の財産、妻だけではなく、
生命すらその気ままに委ねられている。
口ひとつ間違えればぶっ叩かれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない」
(『韓国現代史』第8巻、新丘文化社、ソウル)
(中略)
丁若[金+庸]が、流刑地の全羅南道の康律で、地方役人の事蹟を収録した『牧民心書』は、今日も評価が高い。地方の役人の百姓に対する苛斂誅求の甚だしさを、ありのままに記録している。一例を挙げると、兵役税の名目で、兵員1人を徴集する時に、5、6人に令状を出して、余分の人員から徹底的に金を徴収して、役人が着服した。たとえば一家に祖父と父と孫が同居していて、祖父が兵役に耐えられない老齢でも、孫が5、6歳で幼かったとしても、きっちり人数分の兵役税が徴取された。なかには、子どもが多く、税金を納められない貧しい家の主人が鋏で自らの性器を切断し、それを妻が陳情目的で役所に届けたが、門前払いされたなどという悲しい話もある。518年間続いた李氏朝鮮も、北朝鮮のこれまでの56年間の歴史も、中国の悠久の歴史も、残酷きわまる流血の歴史である。百姓を奴隷の境遇に転落させ、文字どおり限りない収奪と、大量の餓死が繰り返された。
「韓国人、大反省」 1993年 金容雲 徳間書店
そのころの地方官吏の横暴ぶりはとても口では表現できぬくらいだった。とりわけ軍の乱れと腐敗は酷かった。民衆を軍にかりだす過程で、金のあるものは穀物や木綿を差し出して徴兵を免れたが、これが次第に制度化するにつれ、村の頭や役人がありとあらゆるサギを働くようになったのである。子を孕むと、まだ生まれないうちから子を軍籍に入れ、子犬や牛にまで名前をつけて軍籍簿に書きこんで、税を取り立てるありさまだった。
丁若[金+庸]の代表作、『牧民心書』には、当時の現実と軍政の乱れを詠んだ詩が載っている。
. 葦原の若い女の泣き声も寂し
懸門に向かって泣き叫び、天を仰いで訴える
男女が夫婦とならざるは法のなせるわざ
昔(いにしえ)より男絶陽は聞いたこともなし
上の詩を書いた動機が同書に、次のように詳しく説明されている。これは1803年秋、私が康津にいる時に作ったものである。芦原に住む男に子ができて三日後、もうその赤ん坊は軍の名簿に編入され、その子が徴兵に応じられない代償として牛をとられた。男は刀で自分の男根を切り取って『わしはこいつのおかげで酷い目に会う』と嘆いた。妻が夫の男根をもって官庁に抗議をしに行くが、まだ血がたらたらと流れている。泣いて訴える彼女に、門番は非情に立ちふさがったという。私はその話を聞いて、この詩を作った。
官吏は腐敗し、民衆は無力だった。兵営には無能な将兵しかおらず、武器はサビついていた。匠人(職人)も、意欲ある商人も見られなかった。皆が惰眠をむさぼり、ただ日々に流されていた。先覚者の丁若(金+庸)はこのような事実を直視した。彼は朝から晩まで筆をとり、現実の矛盾を告発しつづけた。しかしその声は、ぐっすりと眠っている人たちを目覚めさせる警鐘となるほど大きくはなかった。
(中略)
日本は韓日併合の20年前に、すでに鋭い目で李朝の実状を観察していた。日本のあるスパイは、朝鮮政府が実際に消費する金は日本の金で300万円程度であるが、国民の出す税金の総額はその10倍以上であることを調べだした。国庫へ入る金以外、つまり10分の9の金は言うまでもなく官吏が横取りしていたのである。この日本のスパイは、朝鮮の悪徳官吏が横領した金をそのまま国庫へ納めれば、李朝の人心はきっと日本へ向かうとにらんだ。言わば、李朝の腐敗が日本の侵略を呼んだわけだ。鎖国により外国の目を避けることばかり考えて、内部の自立と自覚をないがしろにした
これは メッセージ 84824 (kurakurashichau さん)への返信です.