フォラツェンさんその後
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2003/08/26 22:40 投稿番号: [83872 / 232612]
フォラツェンさん単独インタビュー「私たちの目標は北朝鮮政府への“挑発”」
26日、フォラツェン(45)さんは首にギブスをはめ、松葉杖をついたまま、隠れ屋で記者を待っていた。
4日前、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に向け、資金とラジオを取り付けた大型風船を飛ばそうとしたが、警察に阻止され、左足と首をケガしたためだ。
2日前は大邱(テグ)ユニバーシアードのメディアセンターで、北朝鮮の人権状況を告発するプラカードを手にデモを行っていた際、北朝鮮記者団に殴られ、意識を失った。
最近、何かと話題になっている彼は、「北朝鮮でも警察の暴行は受けなかったのに、民主主義国家の韓国でこんな目に合うとは思いもしなかった」とした。
いつも力強い口調で、絶え間なく語り続けていた彼だが、後遺症のためか、心なししょんぼりとしている。言葉の合間合間に休みを置く姿も見られた。
彼に「あなたのデモのやり方は北朝鮮を挑発する可能性もあり、長期的な南北関係に障害となることもあり得るのではないか」と質問すると、「もちろん、われわれは北朝鮮政府を挑発するために一連の行事を計画した」と応酬した。
「ナチス政権下でヒトラーに対する反対運動を行うのに、静かに笑みだけ浮かべていては、変わるものも変わらない。われわれは北朝鮮住民の人権のため、北朝鮮を政治的に“挑発”したのだ」
今回の事件の後、彼はほとんど姿をくらましている。彼を探すのに、まる1日かかった。彼は「○○に来れば、私の友達が出迎えに行く」とした。
彼は隠れ屋で友達の声を聞いた後、ようやくドアを開けてくれた。身辺の危険を極度に感じているようだった。
話の矛先がユニバーシアード大会事件に向けられると、彼の顔が上気した。
「あの時、私は暴力的行動は1つも執っておらず、北朝鮮の子供たちの写真を掲げていただけだった。私は基本的に生命を預かる医師であり、非暴力主義者だ。ところが、突然、私の後ろから角材が飛んできた。これを『ケンカ』と報じる韓国のメディアに対し、ひどくがっかりした」
「ユニバ大会のような平和的な行事に、韓国人でもないあなたがそんな行動を起したことに対する異見も出ている」という記者の言葉に、彼は「ユニバ大会が世界の平和のための行事なのか?」と聞き返した。
「あなたは、北朝鮮の“美女応援団”の一糸乱れない行動やその微笑を見たか。私はナチス下のドイツで開かれたベルリンオリンピックを思い浮かべずにはいられなかった。今この瞬間にも、飢えて虐待を受けている北朝鮮の子供たちが死んで行くというのに、韓国のメディアや韓国人は、みんなあの作為的な笑みを浮かべた応援団にだけ集中し、拍手を送っている」
異邦人としてこれほど執拗に、北朝鮮の人権問題に取り組んでいる彼の動機は何だろうか。
「もし、あなたの隣の家の子供が、親から殴られて死にかけていると仮定しよう。あなたはその家のドアを開けてその子供を助け出し、治療を受けさせるべきだ。それが誰の国であろうが関係ない」
彼は自分を「ラウド・スピーカー(Loud Speaker:叫ぶ人)」と強調している。
「もしあなたが100万の良い事を行なっても、それを世間に知らせない限り、世界や世界の不条理は変わらない。北朝鮮人権のために、私がしなくてはならない事や、私にできる事をやっているだけだ。私がヒーローとは思わない」
彼は自分を“太陽政策の敵”と描写する韓国社会の一部の見方に対し、「金大中(キム・デジュン)前大統領が、北朝鮮と秘密資金の取引をしたことはれっきとした犯罪だ。私は北朝鮮住民の人権を先に考慮しない政策なら、それが太陽政策であろうが何だろうが、絶対認めることはできない。そして“正しい”とも言わない」と答えた。
27日、彼は韓国から離れ、東南アジアで脱北者(北朝鮮を脱出した住民)らが安全に脱出できるよう支援する予定だ。そして、北京で開かれる6カ国協議の結果を見守り、自分の行路を決めるとした。
「もう韓国には戻らないのか?」という質問に、彼はギブスをはめた首を左右に振った。「私は任務を果たすつもりだ。私の任務が残っている韓国、そしてソウルをずっと思いつづけ、必ず戻ってくる。しかし私の究極の目的地は、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)、私の幼い患者たちのいる場所だ」
金南仁(キム・ナムイン)記者
26日、フォラツェン(45)さんは首にギブスをはめ、松葉杖をついたまま、隠れ屋で記者を待っていた。
4日前、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に向け、資金とラジオを取り付けた大型風船を飛ばそうとしたが、警察に阻止され、左足と首をケガしたためだ。
2日前は大邱(テグ)ユニバーシアードのメディアセンターで、北朝鮮の人権状況を告発するプラカードを手にデモを行っていた際、北朝鮮記者団に殴られ、意識を失った。
最近、何かと話題になっている彼は、「北朝鮮でも警察の暴行は受けなかったのに、民主主義国家の韓国でこんな目に合うとは思いもしなかった」とした。
いつも力強い口調で、絶え間なく語り続けていた彼だが、後遺症のためか、心なししょんぼりとしている。言葉の合間合間に休みを置く姿も見られた。
彼に「あなたのデモのやり方は北朝鮮を挑発する可能性もあり、長期的な南北関係に障害となることもあり得るのではないか」と質問すると、「もちろん、われわれは北朝鮮政府を挑発するために一連の行事を計画した」と応酬した。
「ナチス政権下でヒトラーに対する反対運動を行うのに、静かに笑みだけ浮かべていては、変わるものも変わらない。われわれは北朝鮮住民の人権のため、北朝鮮を政治的に“挑発”したのだ」
今回の事件の後、彼はほとんど姿をくらましている。彼を探すのに、まる1日かかった。彼は「○○に来れば、私の友達が出迎えに行く」とした。
彼は隠れ屋で友達の声を聞いた後、ようやくドアを開けてくれた。身辺の危険を極度に感じているようだった。
話の矛先がユニバーシアード大会事件に向けられると、彼の顔が上気した。
「あの時、私は暴力的行動は1つも執っておらず、北朝鮮の子供たちの写真を掲げていただけだった。私は基本的に生命を預かる医師であり、非暴力主義者だ。ところが、突然、私の後ろから角材が飛んできた。これを『ケンカ』と報じる韓国のメディアに対し、ひどくがっかりした」
「ユニバ大会のような平和的な行事に、韓国人でもないあなたがそんな行動を起したことに対する異見も出ている」という記者の言葉に、彼は「ユニバ大会が世界の平和のための行事なのか?」と聞き返した。
「あなたは、北朝鮮の“美女応援団”の一糸乱れない行動やその微笑を見たか。私はナチス下のドイツで開かれたベルリンオリンピックを思い浮かべずにはいられなかった。今この瞬間にも、飢えて虐待を受けている北朝鮮の子供たちが死んで行くというのに、韓国のメディアや韓国人は、みんなあの作為的な笑みを浮かべた応援団にだけ集中し、拍手を送っている」
異邦人としてこれほど執拗に、北朝鮮の人権問題に取り組んでいる彼の動機は何だろうか。
「もし、あなたの隣の家の子供が、親から殴られて死にかけていると仮定しよう。あなたはその家のドアを開けてその子供を助け出し、治療を受けさせるべきだ。それが誰の国であろうが関係ない」
彼は自分を「ラウド・スピーカー(Loud Speaker:叫ぶ人)」と強調している。
「もしあなたが100万の良い事を行なっても、それを世間に知らせない限り、世界や世界の不条理は変わらない。北朝鮮人権のために、私がしなくてはならない事や、私にできる事をやっているだけだ。私がヒーローとは思わない」
彼は自分を“太陽政策の敵”と描写する韓国社会の一部の見方に対し、「金大中(キム・デジュン)前大統領が、北朝鮮と秘密資金の取引をしたことはれっきとした犯罪だ。私は北朝鮮住民の人権を先に考慮しない政策なら、それが太陽政策であろうが何だろうが、絶対認めることはできない。そして“正しい”とも言わない」と答えた。
27日、彼は韓国から離れ、東南アジアで脱北者(北朝鮮を脱出した住民)らが安全に脱出できるよう支援する予定だ。そして、北京で開かれる6カ国協議の結果を見守り、自分の行路を決めるとした。
「もう韓国には戻らないのか?」という質問に、彼はギブスをはめた首を左右に振った。「私は任務を果たすつもりだ。私の任務が残っている韓国、そしてソウルをずっと思いつづけ、必ず戻ってくる。しかし私の究極の目的地は、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)、私の幼い患者たちのいる場所だ」
金南仁(キム・ナムイン)記者
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.