あんまりやりたくないけど…。
投稿者: moriya99 投稿日時: 2003/08/08 04:55 投稿番号: [81889 / 232612]
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自分が襲われたとき、または、自分や家族、友人に危害が及んだときに、手段を選ばずに自衛または、自衛のための攻撃をするために武器を取る事こそが、健全であり、座して死を待とうなんて行動をとる方が異常であり平和ボケなのです。
>>
全面否定する訳じゃないですけど、法律至上主義的に臭いが混じりますね。
「自分が襲われたとき、または、自分や家族、友人に危害が及んだときに、」
何故襲われるのでしょう。何故、危害が及ぶのでしょう。新聞記事など読んでいても、新聞には書かれず、その論調も無いことが多いのですけど、殺された人を見ると余程酷いことをしたのでしょうね、恨みを買うようなことをしたのだろうな、というのもありますよ。
例外的に強盗殺人とかレイプ殺人とか被害者側が無辜の場合もありますけど、ほとんどは、関係者全員が避けようとしたら、避けられた事件の方が多い…。責任の有無は別にしてね。そのことは、殺人事件でも死刑とか無期との判決がおりることは少ない。それは、殺人を犯した人にも情状の余地があるからなんですね。関係者の誰が独りでも、防ぐ力があったら防げたかも知れないということですね。法は間接責任までは追求しない建前で割り切っているからですけど、現実は違う。
親とは限りませんけど、幼いときから虐待を受けなかったら、劣悪な環境のなかに放置されなかったら、犯罪を犯すことはなかっただろう、という人も多いですね。
人は無闇に人を襲ったり、危害を加えたりしないものです。社会という目もあるし、教育もある…。同時に自分も危険な目に会う行為ですから。ものごと何でも例外はありますけど、それは新聞やマスコミで騒がれる程の小数例ですね。
国家の場合はどうか。貧富の差のない世界が実現し、国富んで民貧しなどの国家がなくなれば、他の国を武力で攻めたりする必要は激減するはずです。国境すら、本当に必要か、という疑問もありますね。
それでも起きるトラブルには、過剰防衛は許されませんが、正当防衛は許されています。国家とて同じ。憲法第9条に関係なく、自衛権は存在します。しかし過剰防衛はシッペ返しの覚悟がいりますよ。
そうした自衛権をはき違えては拙いし、努力して行く理想とまではいかないまでも、目標を忘れては拙い、というのが私の意見ですけど…。
国家を論じる、世界を論じるのは重要なことかも知れません。だが、その前に一個の人間としての願い、目標はどうなんでしょう。
私は、折角、生を得たんです。どんな名目でも、この手を血で汚さないで生きたい。また、私の大事な人の手を汚すような事態は招きたくないですね。
(#念のために断っておきますね。私が社民党の支持者じゃないですよ。政治は生き物です。もっと現実主義に立っているつもりです。スローガンも眉に唾をぬって見る方だと思っていますけど…。只、支持してないからと言って何もかも否定するのもちがうと考えているだけですけど…。)。
「自分が襲われたとき、または、自分や家族、友人に危害が及んだときに、」
という前提をいきなり持ち出すのは狡い論法になることもあるんじゃないですか。
自分が襲われたとき、または、自分や家族、友人に危害が及んだときに、手段を選ばずに自衛または、自衛のための攻撃をするために武器を取る事こそが、健全であり、座して死を待とうなんて行動をとる方が異常であり平和ボケなのです。
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全面否定する訳じゃないですけど、法律至上主義的に臭いが混じりますね。
「自分が襲われたとき、または、自分や家族、友人に危害が及んだときに、」
何故襲われるのでしょう。何故、危害が及ぶのでしょう。新聞記事など読んでいても、新聞には書かれず、その論調も無いことが多いのですけど、殺された人を見ると余程酷いことをしたのでしょうね、恨みを買うようなことをしたのだろうな、というのもありますよ。
例外的に強盗殺人とかレイプ殺人とか被害者側が無辜の場合もありますけど、ほとんどは、関係者全員が避けようとしたら、避けられた事件の方が多い…。責任の有無は別にしてね。そのことは、殺人事件でも死刑とか無期との判決がおりることは少ない。それは、殺人を犯した人にも情状の余地があるからなんですね。関係者の誰が独りでも、防ぐ力があったら防げたかも知れないということですね。法は間接責任までは追求しない建前で割り切っているからですけど、現実は違う。
親とは限りませんけど、幼いときから虐待を受けなかったら、劣悪な環境のなかに放置されなかったら、犯罪を犯すことはなかっただろう、という人も多いですね。
人は無闇に人を襲ったり、危害を加えたりしないものです。社会という目もあるし、教育もある…。同時に自分も危険な目に会う行為ですから。ものごと何でも例外はありますけど、それは新聞やマスコミで騒がれる程の小数例ですね。
国家の場合はどうか。貧富の差のない世界が実現し、国富んで民貧しなどの国家がなくなれば、他の国を武力で攻めたりする必要は激減するはずです。国境すら、本当に必要か、という疑問もありますね。
それでも起きるトラブルには、過剰防衛は許されませんが、正当防衛は許されています。国家とて同じ。憲法第9条に関係なく、自衛権は存在します。しかし過剰防衛はシッペ返しの覚悟がいりますよ。
そうした自衛権をはき違えては拙いし、努力して行く理想とまではいかないまでも、目標を忘れては拙い、というのが私の意見ですけど…。
国家を論じる、世界を論じるのは重要なことかも知れません。だが、その前に一個の人間としての願い、目標はどうなんでしょう。
私は、折角、生を得たんです。どんな名目でも、この手を血で汚さないで生きたい。また、私の大事な人の手を汚すような事態は招きたくないですね。
(#念のために断っておきますね。私が社民党の支持者じゃないですよ。政治は生き物です。もっと現実主義に立っているつもりです。スローガンも眉に唾をぬって見る方だと思っていますけど…。只、支持してないからと言って何もかも否定するのもちがうと考えているだけですけど…。)。
「自分が襲われたとき、または、自分や家族、友人に危害が及んだときに、」
という前提をいきなり持ち出すのは狡い論法になることもあるんじゃないですか。
これは メッセージ 81886 (moon_over_moscow2001 さん)への返信です.