<歴史教科書パネル展
投稿者: river_god_2002 投稿日時: 2003/08/06 00:48 投稿番号: [81525 / 232612]
初めまして
今までロムだけでしたが、初めて投稿します。
土曜日に私も行って来ました。午前中だったこともあり、人影もまばらでした。
扶桑社の教科書は初めて手にとって見ましたが、特におかしいと思う点はありませんでした。私もこの教科書の採択に関して、色々と騒動が起きたことは知っていましたし、私が所属している組合の労連が、この教科書を眼の敵のようにして非難していましたから、前々から感心はありました。
結局、人間はどちらかの極端な考え方に群れてしまう生き物なのでしょう。中には冷静にバランスを取った考え方で自分の行動を律する人もいますが、そんな方って、たいてい両者から攻撃されて、時代によっては真っ先に殺されてしまいました。
今はそんなこともありませんが、双方が声を荒げる中でどちらの言い分も併せて導くのはとても難しいことです。
私が習った日本史では確かに「沙也可」も「阿弖流為」も「安重根」も、教科書に出ていなかったし、よほどマニアックでもなければ名前さえ聞いたことはなかったと思います。
それが今の日本史で普通に取り上げられて、体制批判の小道具にされているようで、少々驚きました。
私は普通の人間でありたいと思います。
普通の意味は人によって様々ですが、この国の人間として培われてきた規範を物差しとして、生きたいと願っています。
そして日本という国も普通の国でありたいと思います。
これも色々な価値観で収まりがつくとは思えませんが、少なくとも国が国民の生命を守ることに責任を負って欲しい。結果として果たせなかったとしても、常に最大限の努力はして欲しい。
北朝鮮による拉致事件は、自分たちの住んでいる国、日本が普通ではないと強烈にアピールする機会となりました。
そして自分の信じているイデオロギーのためには、他人の生命ばかりか国益さへ平気で損なう行為をする者が存在することを教えてくれました。
そのきっかけとしては北朝鮮も少しは日本のために役立ったのかなって思います。
私も少しでも日本を普通の国にするために役に立ちたいと願っています。
これは メッセージ 81426 (kurakurashichau さん)への返信です.
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