韓国の歴史曲解?2
投稿者: ahoahoahochann7 投稿日時: 2003/08/02 18:42 投稿番号: [81134 / 232612]
実は後年の倭寇も秀吉の朝鮮出兵も、この元寇と無関係ではない。李朝後期に安鼎福が書いた『東史細目』では、倭寇の原因が元寇にあったとし、李[シ+翼]の書いた『星湖[イ+塞]説』では、秀吉の朝鮮出兵も究極の原因は元寇にあったとしている由である
(下條正男、『日韓・歴史克服への道』)
倭寇や「壬辰倭乱」(秀吉の朝鮮出兵)は大々的に書き立てる韓国の教科書が、元寇については他人事のように頬被りをして責任逃れをし、たった数行で片づけている。
さて、次はその倭寇であるが、韓国の教科書ではどう書いているか。
. 『倭寇は、対馬島を根拠地とする日本の海賊で、早くから海岸地方に侵入し、掠奪行為をしていた。恭愍王(きょうびんおう)代には倭寇に江華島まで掠奪され、開京が脅かされるほどであった。これにより租税の海上運送ができず、国家財政が苦しくなり、海岸から遠くはなれた内陸まで倭寇が侵入して、大きな被害をこうむるようになった。高麗は倭寇をおさえるために日本と外交交渉も行ったが効果をあげられず、結局武力で討伐した。崔茂宣(チェムソン)は火砲をつくって鎮浦の戦いで倭船を焼きはらい、崔瑩(チエヨン)と李成桂はそれぞれ鴻山と荒山などで倭寇を大いにうち破った。つづいて朴○(パクウイ)は戦艦100隻を率いて倭寇の巣窟である対馬島を征伐し、その気勢をくじいた。(中略)高麗未に大きな騒乱をおこした倭寇は、朝鮮初期にもわが国の海岸に侵入して略奪をやめなかった。そこで世宗のとき、李従茂などが200隻の艦隊を率いて倭寇の討伐に向かい、対馬島を征伐した。』
こういう記述である。倭寇は「対馬島を根拠地とする日本の海賊」と書いているが、朝鮮に「三島倭寇」という言葉がある通り、倭寇の根拠地は対馬・壱岐・松浦それに博多等、いずれも元寇の際、高麗軍の直接の被害をうけた地域の住民であった。倭寇の記録として、残っている最初のものは高宗10(1223)年である。元寇の余燼いまだ収まらぬ対馬や壱岐の島で、残虐な高麗軍により親を奪われ、子を奪われ、辛うじて難を逃れた住民が、高麗に深い恨みを抱くに至ったのは、むしろ人間の情として自然ではないが。それに、対馬は土地が狭く、耕作には適さない。太古の昔から日本や朝鮮との交易で生計を立てていた。高麗に交易を阻まれ、生計の道を断たれた結果として、対馬の民は朝鮮の海岸を襲うようになったのである。当時の高麗は、元寇に先立つモンゴルの侵略により、数十万の男女が捕虜となり、あるいは虐殺され、非常に国家自体が弱体化していた。その弱みが一層倭寇の行動を刺激し、誘発したことも事実である(田中健夫『倭寇と勘合貿易』)。
もう一つ、韓国の教科書が全く無視して書かない重要なことがある。倭寇は日本人だけではなかった。『世宗実録』28(1446)年の記事によれば、倭寇のうち日本人は一、二割に過ぎず、ほかは日本人に成りすました朝鮮半島の民であった。高麗時代の末期には、軍隊や官吏は統治能力を喪失して、治安を維持できない無政府状態にあった。人々は、「倭寇を仮りて露命をつなぐ以外に、生きる術がなかった」のである(下條正男、前掲書)。こういうところにも、自分に都合の悪い事実は書かないという、韓国の教科書の悪い癖が表れている。これも、「過去が暗いからといって隠し」ている、韓国の教科書の一例であろう。
扶桑社の『新しい歴史教科書』は、倭寇について次のように書いている。『倭寇とは、このころ朝鮮半島や中国大陸の沿岸に出没していた海賊集団のことである。彼らには、日本人のほかに朝鮮人も多く含まれていた。』
簡潔な記述だが、間違いではない。ところが、韓国はこれに異を唱え、『倭寇の発生原因に関する説明が欠落』 『倭寇=日本人』という既存の歴史認識を払拭させるため倭寇に朝鮮人と中国人を含めて記述」と言ってきた。おかしな要求である。発生原因など、韓国の教科書を見てもどこにも書いてありはしない。発生原因など書いたら、それこそ高麗の日本侵略と高麗自身の弱体化に原因があるということになり、韓国自身、天に唾する結果になるのではないか。それに、「日本人のほかに朝鮮人も多く含まれていた」のは「既存の歴央認識」の「払拭」などではなく、朝鮮の史書自体が認めていることではないか(なお、後期倭寇には中国人が多く含まれていた。これについては後述)。韓国の修正要求は、メチャクチャである。
倭寇や「壬辰倭乱」(秀吉の朝鮮出兵)は大々的に書き立てる韓国の教科書が、元寇については他人事のように頬被りをして責任逃れをし、たった数行で片づけている。
さて、次はその倭寇であるが、韓国の教科書ではどう書いているか。
. 『倭寇は、対馬島を根拠地とする日本の海賊で、早くから海岸地方に侵入し、掠奪行為をしていた。恭愍王(きょうびんおう)代には倭寇に江華島まで掠奪され、開京が脅かされるほどであった。これにより租税の海上運送ができず、国家財政が苦しくなり、海岸から遠くはなれた内陸まで倭寇が侵入して、大きな被害をこうむるようになった。高麗は倭寇をおさえるために日本と外交交渉も行ったが効果をあげられず、結局武力で討伐した。崔茂宣(チェムソン)は火砲をつくって鎮浦の戦いで倭船を焼きはらい、崔瑩(チエヨン)と李成桂はそれぞれ鴻山と荒山などで倭寇を大いにうち破った。つづいて朴○(パクウイ)は戦艦100隻を率いて倭寇の巣窟である対馬島を征伐し、その気勢をくじいた。(中略)高麗未に大きな騒乱をおこした倭寇は、朝鮮初期にもわが国の海岸に侵入して略奪をやめなかった。そこで世宗のとき、李従茂などが200隻の艦隊を率いて倭寇の討伐に向かい、対馬島を征伐した。』
こういう記述である。倭寇は「対馬島を根拠地とする日本の海賊」と書いているが、朝鮮に「三島倭寇」という言葉がある通り、倭寇の根拠地は対馬・壱岐・松浦それに博多等、いずれも元寇の際、高麗軍の直接の被害をうけた地域の住民であった。倭寇の記録として、残っている最初のものは高宗10(1223)年である。元寇の余燼いまだ収まらぬ対馬や壱岐の島で、残虐な高麗軍により親を奪われ、子を奪われ、辛うじて難を逃れた住民が、高麗に深い恨みを抱くに至ったのは、むしろ人間の情として自然ではないが。それに、対馬は土地が狭く、耕作には適さない。太古の昔から日本や朝鮮との交易で生計を立てていた。高麗に交易を阻まれ、生計の道を断たれた結果として、対馬の民は朝鮮の海岸を襲うようになったのである。当時の高麗は、元寇に先立つモンゴルの侵略により、数十万の男女が捕虜となり、あるいは虐殺され、非常に国家自体が弱体化していた。その弱みが一層倭寇の行動を刺激し、誘発したことも事実である(田中健夫『倭寇と勘合貿易』)。
もう一つ、韓国の教科書が全く無視して書かない重要なことがある。倭寇は日本人だけではなかった。『世宗実録』28(1446)年の記事によれば、倭寇のうち日本人は一、二割に過ぎず、ほかは日本人に成りすました朝鮮半島の民であった。高麗時代の末期には、軍隊や官吏は統治能力を喪失して、治安を維持できない無政府状態にあった。人々は、「倭寇を仮りて露命をつなぐ以外に、生きる術がなかった」のである(下條正男、前掲書)。こういうところにも、自分に都合の悪い事実は書かないという、韓国の教科書の悪い癖が表れている。これも、「過去が暗いからといって隠し」ている、韓国の教科書の一例であろう。
扶桑社の『新しい歴史教科書』は、倭寇について次のように書いている。『倭寇とは、このころ朝鮮半島や中国大陸の沿岸に出没していた海賊集団のことである。彼らには、日本人のほかに朝鮮人も多く含まれていた。』
簡潔な記述だが、間違いではない。ところが、韓国はこれに異を唱え、『倭寇の発生原因に関する説明が欠落』 『倭寇=日本人』という既存の歴史認識を払拭させるため倭寇に朝鮮人と中国人を含めて記述」と言ってきた。おかしな要求である。発生原因など、韓国の教科書を見てもどこにも書いてありはしない。発生原因など書いたら、それこそ高麗の日本侵略と高麗自身の弱体化に原因があるということになり、韓国自身、天に唾する結果になるのではないか。それに、「日本人のほかに朝鮮人も多く含まれていた」のは「既存の歴央認識」の「払拭」などではなく、朝鮮の史書自体が認めていることではないか(なお、後期倭寇には中国人が多く含まれていた。これについては後述)。韓国の修正要求は、メチャクチャである。
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