尖閣列島の実効支配1
投稿者: fumufumun483 投稿日時: 2003/06/23 22:37 投稿番号: [75513 / 232612]
沖縄県令 1885年9月
琉球藩が沖縄県となった1879年直後に、福岡県出身の古賀辰四郎という小資本家がさっそく那覇に移り住み、沖縄近海の海産物の採取、輸出の業をはじめた。そのうちに1885年、古賀は「久場島」(釣魚島)に航して、ここに産卵期のアホウ鳥が群がることを発見し、その羽毛を採取して大いにもうけることを思いたった。彼は那覇に帰って、その事業のための土地貸与を沖縄県庁に願い出た。この古賀の要請を受け、内務省は先ず、沖縄県庁にこの島の調査を内々に命令した。それに対して、沖縄県令は1885年9月22日次のように上申している。
第三百十五号
久米赤島外二島取調の儀に付上申
本県と清国福州間に散在せる無人島取調の儀に付、先般、在京森本本県大書記官へ御内命相成候趣に依り、取調べ致し候処、概略別紙の通りこれ有り候。抑モ久米赤島、久場島及び魚釣島は、古来本県に於て称する所の名にして、しかも本県所轄の久米、宮古、八重山等の群島に接近したる無人の島嶼に付き、沖縄県下に属せらるるも、敢て故障これ有る間敷と存ぜられ候へども、過日御届け及び候大東島(本県と小笠原島の間にあり)とは地勢相違し、中山傳信録に記載せる釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一なるものにこれ無きやの疑なき能はず。
果して同一なるときは、既に清国も旧中山王を冊封する使船の詳悉せるのみならず、それぞれ名称をも付し、琉球航海の目標と為せしこと明らかなり。依て今回の大東島同様、踏査直ちに国標取建て候も如何と懸念仕り候間、来る十月中旬、両先島(宮古・八重山)へ向け出帆の雇ひ汽船出雲丸の帰便を以て、取り敢へず実地踏査、御届けに及ぶべく候条、国標取建等の儀、なほ御指揮を請けたく、此段兼て申上候也
明治十八年九月二十二日
沖縄県令
西村捨三
内務卿伯爵
山県有朋殿
上記を踏まえて両国の主張を見てみよう
<中国の主張>
日本政府は沖縄県庁に何故「内々」に島の取調べを行ったのか?日本領であるならば、公然と正式に命令する筈である。よって日本は、尖閣諸島が中国領であると知っていたのだ。現に沖縄県は、「清国側でも尖閣を詳悉せる(くわしく知っている)のみならず、各々名称をも附し、琉球航海の目標と為せしこと明らかなり」と言っているではないか。
<日本の主張>
政府が尖閣の調査をするにあたって、公然と行う必要はどこにもない。日本政府は清国と不必要な摩擦を起す事を避けただけである。また、清国は尖閣諸島については、航路上の目標として、たんに航海日誌や航路図においてか、あるいは旅情をたたえる漢詩の中に、便宜上に尖閣諸島の島嶼の名をあげているに過ぎない。そしてそれが直ちに中国領とはならないのである。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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