異説:天皇の起源は朝鮮半島ではない3
投稿者: ahoahoahochann7 投稿日時: 2003/06/23 20:43 投稿番号: [75471 / 232612]
A.D.1世紀ごろ、西アジアから大量の遊牧民が流入してくる。中国人(漢民族)から「秦人(しんじん)」と呼ばれた。秦人は数多くの民族から成っていた。
その一つがユダヤ人原始キリスト教徒である。
彼らは西アジアの動乱をさけ、シルクロードを通ってやってきた。
ユダヤ人原始キリスト教徒の秦人は漢民族から「秦氏」と呼ばれる。
「ユダヤ」⇒「イエフダー」⇒「秦氏」
A.D.4世紀に北方の騎馬民族が南下してくると再び朝鮮半島は混乱し、戦火をのがれた民衆が日本列島へと大量に渡来してくる。
その中心がユダヤ系秦氏である。
日本にやってきた渡来人の多くは新羅からやってきた。
ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏が新羅におり、その始祖伝説に「流され王伝説」が存在する。秦氏を率いて渡来してきたのは「弓月王(ゆみづきのきみ) 」である。 (ユンズ⇒ヘブライ語のヨシュアを意味する)
ヨシュアはイスラエル十二支族を率いてヨルダン河を渡り、約束の地「カナン」へとやってきた。
弓月王は秦氏120県(あがた)を率いて対馬海峡を渡り、約束の地日本へとやってきた。応神天皇が朝鮮半島から秦氏を招き入れたのである。
応神天皇は朝鮮半島出身の渡来人の大王で騎馬軍団を率いて九州へ上陸し、九州にあった物部王家に婿入りすることで大和朝廷を開いた。
高句麗の王「失蒙(チュモン)」に2人の子どもがいた。兄を「沸流(フル)」、弟を「温祚(オンソ)」といった。
温祚の国は発展し百済となったが、沸流の国は衰亡し、沸流は自殺してしまったと「百済本記」に書いてある。(しかし自殺ではなく、どこか別な場所に移動したと見られる)
沸流は朝鮮半島を南下し、伽耶から九州へ上陸して応神天皇になった。
「マナの壷」はガド族が継承した。応神天皇はガド族であった。
「ミカド」と呼ばれるのはカド族出身ということである。
「マナの壷」は籠神社(このじんじゃ)に存在したことが判明している。
失われたイスラエル十支族である応神天皇にとって秦氏は遠い兄弟である。
北朝イスラエル王国が滅亡した時点でイスラエル十支族は背教していた。
応神天皇も異教徒になっていた。
秦氏は原始キリスト教徒であり、ユダヤ教の本質を忘れていない。
又、契約の箱をもっていた為、一目置かざるを得ない。
応神天皇は秦氏を配下におき、日本列島へと乗りこんできた。
応神天皇は秦氏によって改宗して原始キリスト教徒になった。
その理由は応神天皇の前にイエス・キリストが降臨したからである。
イエス・キリストが応神天皇の前に降臨し王権を授けた。
そのため天皇は代々天孫降臨の奥義を伝えるため「大嘗祭(だいじょうさい)」を行ってきた。
大嘗祭はイエス・キリストの霊と一体となり、正式に王権を継承する儀式である。
応神天皇は朝鮮半島で成長して、大人になってから日本に渡来してきた。
応神天皇がバプテスマ(洗礼)を受けて、原始キリスト教に改宗したのは九州である。イエス・キリストから王権を授かった時点で、応神天皇は秦氏の携えている契約の箱を手中に収めた。
その一つがユダヤ人原始キリスト教徒である。
彼らは西アジアの動乱をさけ、シルクロードを通ってやってきた。
ユダヤ人原始キリスト教徒の秦人は漢民族から「秦氏」と呼ばれる。
「ユダヤ」⇒「イエフダー」⇒「秦氏」
A.D.4世紀に北方の騎馬民族が南下してくると再び朝鮮半島は混乱し、戦火をのがれた民衆が日本列島へと大量に渡来してくる。
その中心がユダヤ系秦氏である。
日本にやってきた渡来人の多くは新羅からやってきた。
ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏が新羅におり、その始祖伝説に「流され王伝説」が存在する。秦氏を率いて渡来してきたのは「弓月王(ゆみづきのきみ) 」である。 (ユンズ⇒ヘブライ語のヨシュアを意味する)
ヨシュアはイスラエル十二支族を率いてヨルダン河を渡り、約束の地「カナン」へとやってきた。
弓月王は秦氏120県(あがた)を率いて対馬海峡を渡り、約束の地日本へとやってきた。応神天皇が朝鮮半島から秦氏を招き入れたのである。
応神天皇は朝鮮半島出身の渡来人の大王で騎馬軍団を率いて九州へ上陸し、九州にあった物部王家に婿入りすることで大和朝廷を開いた。
高句麗の王「失蒙(チュモン)」に2人の子どもがいた。兄を「沸流(フル)」、弟を「温祚(オンソ)」といった。
温祚の国は発展し百済となったが、沸流の国は衰亡し、沸流は自殺してしまったと「百済本記」に書いてある。(しかし自殺ではなく、どこか別な場所に移動したと見られる)
沸流は朝鮮半島を南下し、伽耶から九州へ上陸して応神天皇になった。
「マナの壷」はガド族が継承した。応神天皇はガド族であった。
「ミカド」と呼ばれるのはカド族出身ということである。
「マナの壷」は籠神社(このじんじゃ)に存在したことが判明している。
失われたイスラエル十支族である応神天皇にとって秦氏は遠い兄弟である。
北朝イスラエル王国が滅亡した時点でイスラエル十支族は背教していた。
応神天皇も異教徒になっていた。
秦氏は原始キリスト教徒であり、ユダヤ教の本質を忘れていない。
又、契約の箱をもっていた為、一目置かざるを得ない。
応神天皇は秦氏を配下におき、日本列島へと乗りこんできた。
応神天皇は秦氏によって改宗して原始キリスト教徒になった。
その理由は応神天皇の前にイエス・キリストが降臨したからである。
イエス・キリストが応神天皇の前に降臨し王権を授けた。
そのため天皇は代々天孫降臨の奥義を伝えるため「大嘗祭(だいじょうさい)」を行ってきた。
大嘗祭はイエス・キリストの霊と一体となり、正式に王権を継承する儀式である。
応神天皇は朝鮮半島で成長して、大人になってから日本に渡来してきた。
応神天皇がバプテスマ(洗礼)を受けて、原始キリスト教に改宗したのは九州である。イエス・キリストから王権を授かった時点で、応神天皇は秦氏の携えている契約の箱を手中に収めた。
これは メッセージ 75469 (ahoahoahochann7 さん)への返信です.