アル・フセインは北朝鮮製?
投稿者: jijitukankei 投稿日時: 2003/06/15 02:22 投稿番号: [74141 / 232612]
<TWP特報>狂気の金正日支配PART1
連続スクープ・日本破壊工作船
●万景峰号の正体
●北朝鮮ミサイル技師が米議会に続く衝撃証言
●核・拉致・麻薬・ニセ札など、金正日の“侵略”を阻止せよ
(2) 北朝鮮は30種類のミサイルを生産している
インタビュー中、李氏はミサイルを「ロケット」と呼んだ。ロシア式の呼び方である。
――万景峰号ではどんな部品が運ばれたのか。
「ICチップのような電子部品もあれば、金属部品もあった。全部で数千種類にのぼっていた。それらの部品は普通の段ボールに積められており、とくにカムフラージュされていたわけではない。工場には、第2経済委員会から毎年どんなロケットを何基つくるかの指令書が出され、必要な部品は第2経済委員会が輸入して専用の倉庫に保管される。万景峰で日本から運ばれてくるとは聞いていたが、直接、取りに行ったのは1回だけだった」
北朝鮮にとってミサイル開発は自国の戦闘能力を高めるだけではなく、開発したミサイルを中東諸国などに輸出して重要な外貨獲得の手段となっている。そうした北朝鮮製ミサイルの性能についても、李氏の証言は重要な内容を含んでいる。イランでの発射実験に立ちあったことがあると明かした。
「ある日、私と同僚の技術者6人は上司の命令で南浦港に連れて行かれ、貨物船に乗せられた。行き先も、積み荷も知らされないまま2週間ほど航海し、目的地に着いた。そこにはアラブの軍人たちがいた。上陸すると私の工場でつくったミサイル運搬用の大型車両があり、次はそれに乗って2日間走った。ある原野まで行くと、やはり私がつくったロケットが1基発射台に備えつけられていた。地対地ミサイルのひとつで、射程は1000キロ近い。私たちの任務はそのロケットの発射実験の操作をすることだった。発射後すぐに別の車に乗せられて船に戻った」
――実験は成功したのか。
「もちろんだ。帰国して人民武力省の作戦部の知り合いから、『イランでは大変だっただろう』といわれ、その時はじめてイランに連れて行かれたことがわかった。実は、当時の延亨黙首相がイランに飛んでロケットの売却交渉を行なっており、われわれはそのテストのために派遣されたのだった。発射実験が成功したことで商談は成立し、10数基のロケットが売れた。われわれが帰国する際に貨物船には代金として22万トンの原油の一部が積まれていたことも後で知った」
――いつのことか。
「89年だ。アメリカの国防総省で事情聴取された時に、91年5月に行なわれたイランの発射実験の衛星写真を見せられ、“この時ではないか”と聞かれたが、私の記憶では確かに89年だった。私が工場で初めて手掛けた試作品のロケットだったから間違うはずがない」
――他の国での発射実験にも立ち会ったことがあるか。
「私は1回だが、別の技術者は湾岸戦争の時にイラクに派遣された。彼は実験を兼ねてイスラエルの軍需品倉庫を狙ってロケットを発射した。当時、イラクが独自に開発した『アル・フセイン』をイスラエルに射ち込んだといわれたが、本当は北朝鮮製だった。ロケットは実験データを持った者しか操作できない。あれはイラク人ではなく、北朝鮮の技術者が飛ばしたものだ。北朝鮮国内では小型のロケットの実験しか行なっていないから、大型のものは全て海外で発射実験してデータを集めていた」
連続スクープ・日本破壊工作船
●万景峰号の正体
●北朝鮮ミサイル技師が米議会に続く衝撃証言
●核・拉致・麻薬・ニセ札など、金正日の“侵略”を阻止せよ
(2) 北朝鮮は30種類のミサイルを生産している
インタビュー中、李氏はミサイルを「ロケット」と呼んだ。ロシア式の呼び方である。
――万景峰号ではどんな部品が運ばれたのか。
「ICチップのような電子部品もあれば、金属部品もあった。全部で数千種類にのぼっていた。それらの部品は普通の段ボールに積められており、とくにカムフラージュされていたわけではない。工場には、第2経済委員会から毎年どんなロケットを何基つくるかの指令書が出され、必要な部品は第2経済委員会が輸入して専用の倉庫に保管される。万景峰で日本から運ばれてくるとは聞いていたが、直接、取りに行ったのは1回だけだった」
北朝鮮にとってミサイル開発は自国の戦闘能力を高めるだけではなく、開発したミサイルを中東諸国などに輸出して重要な外貨獲得の手段となっている。そうした北朝鮮製ミサイルの性能についても、李氏の証言は重要な内容を含んでいる。イランでの発射実験に立ちあったことがあると明かした。
「ある日、私と同僚の技術者6人は上司の命令で南浦港に連れて行かれ、貨物船に乗せられた。行き先も、積み荷も知らされないまま2週間ほど航海し、目的地に着いた。そこにはアラブの軍人たちがいた。上陸すると私の工場でつくったミサイル運搬用の大型車両があり、次はそれに乗って2日間走った。ある原野まで行くと、やはり私がつくったロケットが1基発射台に備えつけられていた。地対地ミサイルのひとつで、射程は1000キロ近い。私たちの任務はそのロケットの発射実験の操作をすることだった。発射後すぐに別の車に乗せられて船に戻った」
――実験は成功したのか。
「もちろんだ。帰国して人民武力省の作戦部の知り合いから、『イランでは大変だっただろう』といわれ、その時はじめてイランに連れて行かれたことがわかった。実は、当時の延亨黙首相がイランに飛んでロケットの売却交渉を行なっており、われわれはそのテストのために派遣されたのだった。発射実験が成功したことで商談は成立し、10数基のロケットが売れた。われわれが帰国する際に貨物船には代金として22万トンの原油の一部が積まれていたことも後で知った」
――いつのことか。
「89年だ。アメリカの国防総省で事情聴取された時に、91年5月に行なわれたイランの発射実験の衛星写真を見せられ、“この時ではないか”と聞かれたが、私の記憶では確かに89年だった。私が工場で初めて手掛けた試作品のロケットだったから間違うはずがない」
――他の国での発射実験にも立ち会ったことがあるか。
「私は1回だが、別の技術者は湾岸戦争の時にイラクに派遣された。彼は実験を兼ねてイスラエルの軍需品倉庫を狙ってロケットを発射した。当時、イラクが独自に開発した『アル・フセイン』をイスラエルに射ち込んだといわれたが、本当は北朝鮮製だった。ロケットは実験データを持った者しか操作できない。あれはイラク人ではなく、北朝鮮の技術者が飛ばしたものだ。北朝鮮国内では小型のロケットの実験しか行なっていないから、大型のものは全て海外で発射実験してデータを集めていた」
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.