>君が代って(君が天皇とは限らない)
投稿者: ahoahoahochann7 投稿日時: 2003/06/01 01:07 投稿番号: [72340 / 232612]
学校の先生も嘘を教えるもんだ。読み人知らずの歌が起源。天皇ではないらしい。
明治3年当時、洋式軍楽隊を持っていた薩摩藩は、外国では儀式において
演奏する国歌のあることを知り、大山巌、野津鎮雄などが君が代の
古歌を選び出し、薩摩藩の軍楽教師であるイギリス人の
フェントン(John
William Fenton)
フェントンに作曲させたのが初めと言われてます。
しかしこの曲は不出来で、わが国に合わないという理由で、
海軍軍樂長
中村祐庸の提議により、明治9年廃止となりました。
これと別に明治14年、文部省は小学唱歌集に、歌詞は
そのまま「君が代」として曲をつけて発表しました
が、これもあまり歌われずに終わりました。
1880年(明治13年)新たな「君が代」が作曲された。
中村祐庸は、日本の国歌は雅楽調メロディーがよいと提案し、
海軍省が作曲を当時の宮内省雅楽課に依頼した。
依頼を受けた宮内省では雅楽課の
林廣守、海軍の中村祐庸、陸軍の四元義豊と
エッケルト(Franz Von Eckert)
ドイツ人のエッケルトを審査委員として、
所属の楽師達から作曲を募集した。その結果、奥好義と
林廣孝(林廣守の息子)が合作した曲が選ばれ、
林廣守がこれを修正して、林廣守作曲として発表した。
壱越(いちこつ)調の旋律に、エッケルとが和声
をつけ完成し、この年の11月3日、宮中で初演された。
この改定「君が代」を実際に作曲したのは、雅楽課の
奥好義と林廣季の両名で、稽古所で当直中、二人
で相談して作り、上司の林廣守の名義にしたといわれている。
これは明治13年吹奏楽により公式に演奏され、
その後明治26年、文部省告示により学校で儀式に用い
る唱歌として指定された。
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歌詞
平安時代中期の歌集「古今和歌六帖」、第四・祝の部
「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
詠み人知らず
とあり、和漢朗詠集でも底本によっては「我が君は」が「君が代は」となっているものもある。
現在の君が代の歌詞は、このあたりに由来することがわかる。
これは メッセージ 72333 (hangyosyufu さん)への返信です.
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