夢
投稿者: masa4618 投稿日時: 2003/05/28 01:18 投稿番号: [71596 / 232612]
思わず最後にMIDI入れておきます。(笑)
>知人にMozart狂みたいのがいて、ピアノもせっせとやっている。
なんかわかるような気がします(微笑)
たとえば40番ト短調シンフォニーの冒頭のあの有名なフレーズにしても、ブルーノワルターはのどかすぎる、カールベームはテンポがない、カラヤンは焦燥感だけで音が素通りしている、トスカニーニは激しいだけで、アバドはおとなしすぎる。ジュリーニは壮大ではあるが緻密さがない、セルはすごく早く音が荒い、バーンスタインは歯切れがいいだけで音が汚いなどなど・・・・・・・
あの「冒頭」だけでも朝まで話ができそうです。(笑)
ちなみにその知人の方はどの指揮者のト短調シンフォニー冒頭「」がお好きなのか機会があったら聞いてみてください。
わたくしは、フルトベングラーとケルテスの「40番」が好きです。ことにケルテスはいいと思いますが・・・まあ、好みの問題ですね。
大学で自分の専門分野を研究してたころに、その「ストレスのはけ口」としてよく聴いていました。最近はオタクというほど詳しくはないですが・・・
>OperaではFigaroとMagic Flute が断然という。
「後宮からの遁走」もリズミカルでいいですよ。
>理由はすぐに分かった。前者は伊語、後者は独語。
やはりOperaは伊語でないとだめ、独語はなにか感じる前に私にはゴツゴツしてしまう。
Amadeusは意識的に革命的にドイツ語を用いた経緯がありますね。「フィガロ」もドイツ語で書きたかったようですが大司教の猛反対でイタリア語となりました。
>いつかはイタリアのどこかの古代ローマの遺跡に座りながら、
涼しくなった夕暮れの中で、あの乾いた空に透き通るようなソプラノのアリアを寸刻を惜しみながら聴いてみたい。
みなさんの夢を聞いているととてもロマンチックでいいですね・・・
最後に交響曲第40番 ト短調 の「例の冒頭」をサリエリだったらどのように演奏したか・・・ザルツブルグでフィガロを生で聴いたあと、ワインに酔いながら、思いをはせながら、時空を超えてAmadeusを感じてぐっすり眠りにつくのが夢です。
P.S. 交響曲第40番ト短調K.550 のMIDIです。
http://sound.jp/rsnamu2/classics/m-sym401.html
モーツァルトの「三大交響曲」の一つです。 オーケストラ編成はトランペットやティンパニーを省いた編成です。 他の2曲とはこの曲は異なる性格を持ち、人によっては、捕らえ方の違う交響曲として興味ある曲です。 彼の未亡人と結婚したニッセンはこの曲を現在一般に広く捕らえられている解釈を残しています。いわく「不安で落ち着かない情熱、闘争、強く心魂に徹する興奮との抗争である。」と残しています。反面、かの有名なシューマンは「このギリシャ的な、軽く飛び行く曲」と残しています。 後にさらにヘルマン・ヘルシバッハと言う作曲家は、「構想、手際とも特にすぐれることない、ごく平凡な曲であり、ベートーヴェンはこの曲を傑作とは思わないだろう」と残しています。さて、あなたはどう思われますか? この第一楽章は「ユーモアと悲痛は紙一重」と芸術心理学者が言う言葉であるが、まさにその通りであり、そういう部分が随所に見られます。冒頭の旋律は聞く人の心を一度捉えたら離さない、心に響くメロディーです。
>知人にMozart狂みたいのがいて、ピアノもせっせとやっている。
なんかわかるような気がします(微笑)
たとえば40番ト短調シンフォニーの冒頭のあの有名なフレーズにしても、ブルーノワルターはのどかすぎる、カールベームはテンポがない、カラヤンは焦燥感だけで音が素通りしている、トスカニーニは激しいだけで、アバドはおとなしすぎる。ジュリーニは壮大ではあるが緻密さがない、セルはすごく早く音が荒い、バーンスタインは歯切れがいいだけで音が汚いなどなど・・・・・・・
あの「冒頭」だけでも朝まで話ができそうです。(笑)
ちなみにその知人の方はどの指揮者のト短調シンフォニー冒頭「」がお好きなのか機会があったら聞いてみてください。
わたくしは、フルトベングラーとケルテスの「40番」が好きです。ことにケルテスはいいと思いますが・・・まあ、好みの問題ですね。
大学で自分の専門分野を研究してたころに、その「ストレスのはけ口」としてよく聴いていました。最近はオタクというほど詳しくはないですが・・・
>OperaではFigaroとMagic Flute が断然という。
「後宮からの遁走」もリズミカルでいいですよ。
>理由はすぐに分かった。前者は伊語、後者は独語。
やはりOperaは伊語でないとだめ、独語はなにか感じる前に私にはゴツゴツしてしまう。
Amadeusは意識的に革命的にドイツ語を用いた経緯がありますね。「フィガロ」もドイツ語で書きたかったようですが大司教の猛反対でイタリア語となりました。
>いつかはイタリアのどこかの古代ローマの遺跡に座りながら、
涼しくなった夕暮れの中で、あの乾いた空に透き通るようなソプラノのアリアを寸刻を惜しみながら聴いてみたい。
みなさんの夢を聞いているととてもロマンチックでいいですね・・・
最後に交響曲第40番 ト短調 の「例の冒頭」をサリエリだったらどのように演奏したか・・・ザルツブルグでフィガロを生で聴いたあと、ワインに酔いながら、思いをはせながら、時空を超えてAmadeusを感じてぐっすり眠りにつくのが夢です。
P.S. 交響曲第40番ト短調K.550 のMIDIです。
http://sound.jp/rsnamu2/classics/m-sym401.html
モーツァルトの「三大交響曲」の一つです。 オーケストラ編成はトランペットやティンパニーを省いた編成です。 他の2曲とはこの曲は異なる性格を持ち、人によっては、捕らえ方の違う交響曲として興味ある曲です。 彼の未亡人と結婚したニッセンはこの曲を現在一般に広く捕らえられている解釈を残しています。いわく「不安で落ち着かない情熱、闘争、強く心魂に徹する興奮との抗争である。」と残しています。反面、かの有名なシューマンは「このギリシャ的な、軽く飛び行く曲」と残しています。 後にさらにヘルマン・ヘルシバッハと言う作曲家は、「構想、手際とも特にすぐれることない、ごく平凡な曲であり、ベートーヴェンはこの曲を傑作とは思わないだろう」と残しています。さて、あなたはどう思われますか? この第一楽章は「ユーモアと悲痛は紙一重」と芸術心理学者が言う言葉であるが、まさにその通りであり、そういう部分が随所に見られます。冒頭の旋律は聞く人の心を一度捉えたら離さない、心に響くメロディーです。
これは メッセージ 71487 (sofiansky2003 さん)への返信です.