韓国、中国は正しい歴史の認識を
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2003/05/16 13:52 投稿番号: [69064 / 232612]
【噴水台】外国への正しい認識
壬辰倭乱(文禄の役)と丁酉災乱(1597年日本軍が韓国を2回目侵攻したこと)のとき、あれだけ痛いめにあった後も朝鮮(チョソン、1392〜1910)の有識者らは依然として日本を蔑んだ。中国中心の世界観に深く染まっていたからだった。徳川幕府の時代、朝鮮通信使らが日本に派遣される度、多くの日本の有識者らは知識伝授を求めて宿所を訪ねた。ところが、通信使の中には、日本人らが頭を下げて差し出した紙に文を書く際、文鎮の代わりにかかとで紙を踏んだまま、筆を書き散らした人までいた。こうしたごう慢で不遜な態度に、うっ憤を吐露した日本人らの記録が今でも残っている。
もちろん、朴斉家(パク・ジェガ、1750〜1805)のような実学派の考えは異なった。彼は「中国を崇め、となりの日本と付き合うため、使臣として他国へ向かう臣下らの行列が相次いでいるものの、他国の立派なものを一つでも習ってくる者が全くいない。それでありながらも、それらのことをあざ笑い、倭人だ、ドェノム(中国人を見下ろした表現)だと騒ぐ」とし嘆いた(『北学義』、アン・デフェ訳)。
近代中国も同じだった。明治維新の後である1885年、日本を見回った中国人の儒学者は日本について「文明の開化だなんてとんでもない。井の中のカワズのようだ」と嘲笑した。易順鼎というもう1人の中国人は「討日本檄文」との文で「他人(西洋)の衣服を真似しているが非常に愚かで、自分勝手に維新だとしているが、その名をさらに汚している」と貶した。自国が滅びえつつあるところで陳其元のような人は「精兵万人を選抜し、長崎を経略し、倭都に進攻しよう」と建議した(王ヒョチュ『近代中国と日本』、シン・スンハ訳)。それ以降の歴史は、果たして誰が「井の中のカワズ」だったのかを立証付けている。
朝鮮通信使であれ中国儒学者であれ、それらも当代最高の有識者らだった。他国をきちんと把握するのがそれだけ難しいとの点から、100〜200年前の東アジア識者らの短い見識を無条件あざ笑うことでもない。「外国への正しい認識」は外国に関する情報だけでなく、その国から考えてみた韓国、そして国際社会の中での両国関係を総合して考えるとき可能になる。
「米国が韓国を助けてくれなかったら私は今ごろ政治犯収容所にいるかもしれない」など、米国を訪問している盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の相次いだ「対米宥和コメント」が話題だ。そうした諸発言から、韓国の位相と立場を考慮した実用主義者の苦悩が感じられたとしたら、記者だけの思い込みだろうか。
盧在賢(ノ・ジェヒョン)週末チーム長
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/69064.html