日本の暴走の原因はこれ
投稿者: ahoahoahocha6 投稿日時: 2003/05/05 22:36 投稿番号: [66742 / 232612]
私は、諸悪の根源は戦前の政治家どもが、思考力を失ったからと思います。だから、政治を、若い人も、考えて欲しい。
特殊日本型ファシズムの国民統制機関)
1937(昭和12)年日中戦争が勃発する頃から政治・経済・文化などあらゆる分野を戦争遂行の体制に編成するために、反対勢力を徹底的に弾圧した上で、強力な政治力をもつ一国一党的な新党の樹立を主張する勢力(革新派)が日本台頭した。その指導者が近衛文麿(このえふみまろ)とその側近の有馬頼寧(よりやす)や風見章らであった。同じ頃、帝国議会内にも近衛新党を目ざす動きが起こった。彼らは斎藤隆夫の反軍演説に際して彼を除名することに成功するや、聖戦貫徹議員連盟を作って各党に政党解消を申し入れた。
こうした動きに呼応した衆院副議長の金光庸夫(かねみつつねお) は軍の了解工作(武藤・金光会談)に奔走、かくて1940(昭和15)年10月12日(前月9月19日の御前会議で「三国同盟」の締結を決定している)、世界新秩序、統制経済、権力一元化を柱にドイツのナチス的新体制を模倣した大政翼賛会の成立声明を時の総理の近衛が首相官邸での発会式で発表するところとなる。
大政翼賛会は、首相を総裁とし、官僚・軍部・政党などから役員を選出、都道府県支部のトップは知事が就任するなど、全政治勢力丸抱えの上からの官製組織であり、政府の政策に協力する公の結社を意味した。
大政翼賛会が成立するや、体制に迎合する形で(「バスに乗りおくれるな」と)、まず社会大衆党が、ついで政友会、民政党が解党して大政翼賛会の傘下に入り、日本の政党歴史は終焉するところとなる。42(昭和17)年には産業報国会・大日本婦人会や部落会・町内会などの地方組織が組み入れられ、上意下達の国民生活統制機関として、また侵略戦争を鼓舞(こぶー励まして勢いづけること。奮い立たすこと)する国民運動推進機関としての役割を果たすのである。
そして45(昭和20)年6月、本土決戦体制の一環として解体され、国民義勇軍として再編されるところとなる。
これは メッセージ 66729 (appleblossom1978 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/66742.html