小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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反金正日団体の分析(1)オームとの接点

投稿者: bakakokudenai5 投稿日時: 2003/04/27 21:57 投稿番号: [65201 / 232612]
http://www.cnet-ta.ne.jp/k/kukuk/jp/tero.htm

北朝鮮とアラブ反米主義者たちの結びつき



2001年4月にアメリカ国務省が発行した報告書「パターン・オブ・グローバル・テロリズム1999」にも、「北朝鮮がオサマ・ビンラディンと彼のネットワークと絆を保ってきた」と明記している。情報によれば、オサマ・ビンラディンはすでに20歳代に北朝鮮のテロ教官に調教を受けたとのことである。

北朝鮮とアラブ反米主義者たちとの結びつきは秘密ではない。例えば、ニューヨーク在住のジャーナリスト田畑満美氏は次のように話したことが報道されている。

「イスラエルとパレスチナの和平プロセスが進行していた95年、私はPLOアラファト議長にインタビューをすることになりました。取材は午後一時の約束だったのですが、夕方まで四時間ほど待たされたのです。その間女性記者が珍しかったのか、武装したパレスチナの衛兵たちが、私に話しかけてきました。片言のアラビア語で応じていると、一人の衛兵が『朝鮮語を話せるか』と聞きました。私は韓国語の延世大学に留学経験があるので、朝鮮語で話すと、かれは私の朝鮮語よりも難しい言葉を良く知っていているので驚きました。まさかと思って貴方がたは韓国で勉強したのかと聞くと、『違う。北朝鮮で勉強した』といった。そして、その場にいた衛兵たちが面白がって笑うと数人が集まり、全員が流暢な朝鮮語でしゃべり始めたのです。二年前に共同の軍事交換プログラムで派遣され、一年余り平壌とその近郊の軍事施設に滞在して訓練を受けたと言いました」

中東駐在が長いジャーナリストもこう述べています。

「ドイツの慈善団体に所属する医師ノルベルト・フォラツェン(Norbert Vollertsen)氏は1999年夏から2000年末まで北朝鮮で医療活動に従事していたのですが、私は2001年10月東京で彼に会いました。かれは、平壌市内の特別地区にある外国人専用のマンションに住んでいました。かれの上下左右の部屋はすべてアラブ人でみな軍服を着用していた。かれらの出身国は、リビア、イエメン、パレスチナ、イラク、スーダン、イランなどであった。かれら、アラブ人たちの出身国の多くはアメリカの指定するテロ支援国家でした。かれらアラブ系軍人は入国する時から、国賓級の扱いを受け、北朝鮮に到着すると特別なセレモニーで出迎えられました。警護も特別、国内の移動も専用車でした。軍の施設にも入れるし、施設内にも専用の宿泊所があるようでした、と」

アラファトの側近が北朝鮮で軍事訓練をうけ、朝鮮語を流暢に話すということは、アラファトと金日成がただならぬ関係であったことを示すものである。アラファトはたびたび金日成を訪問して同志的関係を結んでいる。1990年5月10日、アラファト自身がPLO代表団を率いて平壌を訪問し歓迎宴席で話したことが1990年5月11日の労働新聞に次のように載っている。

「私たちは単なるお客ではなく、世界帝国主義と彼等の走狗たちに反対して同じ戦壕で戦う戦友であり闘士であるから、大きな脅威と困難な挑戦に直面する度毎にそれを克服打開し共同闘争を継続するための最良の方法と方途を高級考究し、意見を交わすために戦闘的な貴国を訪問したのであります」

金日成−アラファト−フセイン−ビンラディンは対米テロの系列である。

北朝鮮の空軍司令官趙明禄は三十数年来、対米戦争を目標に米国の艦船とソウルの中枢部への自爆突撃特訓を実施し、その功績で現在国防委員会第一副委員長となっている。9月11日の米国中枢同時テロは趙明禄の発想戦術であり、北朝鮮のテロ教程による実習であったといえなくもない。

北朝鮮の盟邦ロシアと往来していたオウム真理教が1993年東京で地下鉄サリンテロを敢行した。ソ連体制が崩壊した後、北朝鮮はロシアでバイオとケミカル兵器の製造技術を難なく手に入れる状態であった。オウム真理教は皇居の上空にサリンをまく計画があったと言われる。これは日本人的発想ではない。
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