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三国人の不法行為

投稿者: ahoahoahchen6 投稿日時: 2003/04/10 23:36 投稿番号: [62025 / 232612]
三国人という言葉に、ならず者のイメージを植え付けたのは、日本人の弱り目につけ込んで、不法行為を行ったの朝鮮人自身にある。
「韓国のイメージ」鄭大均   1995年   中公新書
連合国総司令部(GHQ)の担当官として終戦直後の日本に駐留し、後にハーバード大学教授となったエドワード・ワグナー(朝鮮史)は、『日本における朝鮮少数民族』(原著1951年)という論文で次のように記している。

『戦後の日本においては、朝鮮人少数民族は、いつも刺戟的な勢力であった。数においては大いに減ったものの、朝鮮人は、依然として実に口喧しい、感情的・徒党的集団である。かれらは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとせず、かえって戦勝国民の仲間入りをしようとした。朝鮮人は、一般に、日本の法律はかれらに適用され得ないものとし、アメリカ占領軍の指令も同じようにほとんど意に介しなかった。そのため、国内に非常な混乱をおこした。』


「一部在日朝鮮人の帰国問題」   日本赤十字社発行   (「別冊宝島   朝鮮総聯の研究」   1995年   宝島社より)
朝鮮人の場合は、今までとは打って変わり、戦勝国民となり、治外法権が認められた。それが彼等にとり、どんなに気持ち良かったかは想像に難くない。単に精神面においてのみならず物質面においても、彼らは日本人が住むに家なく、着るに衣なく、飢餓にあえいでいる最中、その特権を利用してあらゆるボロ儲けをすることが出来た。(「戦勝国民となり、治外法権が認められた」は法的根拠がない)


「韓国・朝鮮と日本人」   若槻泰雄   89年   原書房
戦前から強かった日本人の在日朝鮮人への悪感情は、第二次大戦直後の経験によって更に強まった。それは、日本人が敗戦の苦悩と屈辱に打ちしおれていたとき、在日朝鮮人による犯罪、不法行為が続発したことであった。もともと戦前から在日朝鮮人の犯罪率は日本人の平均の10倍前後に達し、朝鮮人の住む貧民窟が犯罪の巣であるかのように見なされていた。(中略)

続発した不法行為

総人口わずか1%以下の在日朝鮮人の公務執行妨害は21%(1949年)、騒擾のごときは83%(1948年)、そして密造酒は全密造酒の30%近く(1953,54年)、ことに覚醒剤の販売量では全量の60〜70%を占めるという有様であった。(1953,54年)

公安調査庁坪井豊吉氏は、終戦後間もない頃の在日朝鮮人の犯罪状況について『法務研究』に次のように書いてある。
『本期における大きな傾向としては、個人的感情にもとづく報復的詐欺、脅迫、暴行などの一般犯罪のほか、いわゆる親日派民族反逆者への監禁、暴行、あるいは・・・・・帰国問題に起因する不穏行動、各地の保安隊、警備隊(朝連の自衛組織)などの警察類似行為、主食の集団要求や買出し、彼ら同士の派閥抗争などがみられた・・・・・またそれらの中の主な事件は、各地における集団強窃盗、官公署への横暴な態度と不当な要求、建築物の不法占拠、汽車、電車、バスなどの不法乗車、生産管理、人民裁判などであった・・・・・。彼らの不法行為は、敗戦による日本側当局の無気力と消極的な処置に乗じてやたらと増長され、戦後の混乱をいっそう助長するところとなった・・・・・敗戦の混乱におびえるに日本の一般社会人心は極度に不安な環境におちいり、一時は全く無警察状態が各方面に現出された。彼らの不法行為が、一般日本人はもちろん、在留外国人の間にまでも、彼らの性格が事大主義で、遵法精神が薄く、感情的で、極端な凶暴性をもっているとの深い印象を植え付けたことだけは、まぎれもない事実のようである。
この時代は、特にその初期は右翼と称される民団、建青などによっても数々の不法行為が敢行されていた・・・・・』
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