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礼の国の侮日。反日のルーツ

投稿者: ahoahoahocha6 投稿日時: 2003/03/25 00:34 投稿番号: [58405 / 232612]
中国の侮日・反日は改革解放から

中国人の対日感情は近現代に入ってから、ことに日本の開国、維新以降大きく揺れ動いた。長い日中関係の歴史から見ると、中国人の反日感情は二十世紀に入ってからのものである。たしかに十九世紀末には日清戦争はあったものの、中国人はまだ「反日」ではなかった。

隋唐の時代以降、中国から見た日本は東方海上の東夷の粟散国、(艸/最)爾(さいじ)の国(小さい国)であった。倭人など朝鮮人と同様同じ穴の狢(むじな)であり、人間よりも禽獣に近い夷狄(野蛮人)としか見ていなかった。「日出ずる国VS日没する国」という聖徳太子の国書など、中国からすればただの井の中の蛙であり、夜郎自大にしか過ぎなかったのである。

たしかに倭寇の頃のように、中国が「恐日」だった時代もあるが、基本的には「蔑日」の時代は日清戦争まで続いていた。

日清、北清、日露の三つの戦争で示された日本の強大な実力は、中国人に大きなショックを与え、伝統的な対日観を逆転させ、「慕日」「尊日」「師日」の時代となり、日本を近代国家のモデルにした時代が辛亥革命後の袁世凱大総統の頃まで続いた。

日本の対中「二十一ヵ条要求」、そして一九一九年の五・四運動をきっかけに「反日」感情が高揚し、満州事変後は「排日」運動が激化するなどで、日中はそれまでにない対峙、対立、そして本格的戦争の状態に入った。

戦後の人民共和国政権樹立からしばらくは、中国人が最も夢と理想に燃えた時代であり、中華思想が完全燃焼する時代だった。人々は「世界革命、人類解放、国家死滅」の「歴史使命感」に燃え、「東風が西風を圧倒する」と信じて疑わず、「二十年以内にイギリスを追い越し、二十世紀中にアメリカに追いつく」と自信満々となって、社会主義建設に猪突猛進していた。しかし社会主義建設、ことに大躍進には失敗し、文革も単なる「十年動乱」でしかなかったという惨めな結果で終わっている。

そうした挫折感から、マルクス・レーニン主義や社会主義への信念は大きく動揺し、七〇年代末から改革開放路線に転換すると、社会主義のイデオロギーに代わって愛国主義と大中華民族主義の運動が、共産党の一党独裁体制を支える精神的支柱となった。これが今日の反日、敵日、侮日の時代的背景である。
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