ルーマニア革命は北朝鮮に応用不可?
投稿者: ahoahoahochan8 投稿日時: 2003/02/23 20:59 投稿番号: [51802 / 232612]
協会とハンガリー系のルーマニア人が大きな役割を果たした。
朝鮮半島は、どう民族の韓国が金正日打倒の決意をしないと、可能性はないでないか
ルーマニア正教会。以下、ルーマニア革命小史を書いておこう。
1989年12月、チャウシェスク大統領の民族弾圧政策に沿って、ティミショアラの
マジャール人牧師テケーシュ・ラースローに国外退去命令が出された。
しかし、ティミショアラ市民は団結して彼の受け渡しを拒否。12月16日この教会前で
抗議運動が行われている最中、治安警察が武力鎮圧のために出動。市民との間に
銃撃戦が行われ1000人近くの犠牲者が出た。その時、教会に逃げ込もうとした
子供たちが後ろから撃たれ、教会の階段は血の海になったという。
12月21日首都ブカレスト共産党本部ビルのテラスで行われたチャウシェスクの演説は、
広場を埋め尽くす大群衆の激しいブーイングによって続行を断念せざるを得なかった。
大統領夫妻は衆目の中、ビル屋上からヘリで逃亡。直後、全土に戒厳令が敷かれ
大統領官邸に通じていた秘密の地下道から治安警察部隊が姿を現した。
集まっていた民衆と治安警察は激しい銃撃戦を繰り広げ、ブカレストは戦場と化した。
この戦闘で大学図書館が焼失、ホテルや音楽堂が損壊、多数の戦死者が出た。
12月22日には軍が民衆側につき救国戦線を結成。テレビ局を制圧して首都の実状を
全国に放送した。これにより流血民主革命はもはや止めることが出来なくなった。
12月25日逃亡途中を捕らえられたチャウシェスク夫妻は軍事裁判にかけられ
即時死刑の判決を下された。この時の射殺の映像は世界に放送された。
教会の中に入ってみると、追悼の祭壇に向かい泣きながら祈っている人がいた。
革命で家族を失ったのだろうか。いまだ献花が絶えないようだった。
これは メッセージ 51798 (ahoahoahochan8 さん)への返信です.
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