≪未曾有の危機の到来≫ 産経正論
投稿者: nigakudo72 投稿日時: 2003/02/21 18:42 投稿番号: [51416 / 232612]
今こそ集団的自衛権行使への決断の時
迫る北朝鮮危機の現状を直視せよ
≪未曾有の危機の到来≫
いよいよ日本に、「本当の危機」が到来しつつあるように見える。今回の北朝鮮をめぐる危機は、これまでの数十年間くり返されてきた半島危機とは全く様相を異にしたものとなろう。現実に日本の周辺や国内で、核やミサイルによる威嚇(いかく)や各種の破壊・ゲリラ活動が引き起こされる可能性も高く、戦後の日本社会にとって未曾有の危機へとつながる要素を含んでいる。まず差し迫っては、対イラク攻撃の始まりに照準を合わせ、北朝鮮は核再処理への着手宣言をはじめとする核危機のさらなるエスカレーションや、「ミサイル発射実験」を再開し日本周辺への現実の発射に踏み切ることなどが予測されている。また各種の破壊工作活動やテロの威嚇などに日本政府の一部でも深い懸念が広がっていると聞く。
考えてみると、これらはいずれも僅か四カ月余り前、あの小泉首相の訪朝によって合意された「日朝平壌宣言」でその放棄がはっきり約束されたことだった。今になってみれば、一体、あの合意は何だったのか、心の底から虚(むな)しさが込み上げてくる。一国の総理があえて国交のない国を訪れ、“歴史的な首脳会談の成果”として誇示した合意事項は今や跡形もなく雲散霧消し、日本列島は掛け値なしに昭和二十年以来の危機にさらされている。
≪間が悪い首相発言≫
それにしても、この首相の発言には何か、決定的な「間の悪さ」があると言わざるを得ない。日本周辺にこのような歴史的危機の切迫が叫ばれている、まさにそのさ中に、首相は今月五日の参議院本会議の場で、集団的自衛権の行使について、正面から「(その行使は)許されない。この点で小泉内閣の見解を変えることは考えていない」と言い切ってしまった。小泉首相は、政権発足以来これまで集団的自衛権の行使容認に向けての政府解釈の変更を視野に入れた論議の必要性を謳ってきた。たしかにそこでは、小泉内閣において解釈変更に踏み切ることはないとも付け加えていた。その意味ではこの場合、首相は「公約を守っているだけ」という意識なのかもしれない。
しかし五日の首相発言は政治的には明らかに従来の立場にくらべ「後ろ向き」のニュアンスに満ちた軌道修正であり、何よりもこの国に到来しつつある未曾有の安保脅威を前にして、その危機意識の低さを強く印象づけるものとなった。
しかし、たとえ小泉内閣では集団的自衛権行使についての解釈変更はしない、というのがこれまで一種の“公約”だったとしても、北朝鮮危機の進行次第では、これこそ「正面から破ってもよい公約」だということに気づかねばならない。そしてもしその違反を咎(とが)める声が起こったなら、その時こそ真正面から「大したことではない!」と反論すればよい。なぜなら、そこでは日本の国家としての存立と多数の日本国民の生命・財産が直接脅かされるという、真に差し迫った危険への対処が求められるからである。
≪深刻な日本の安全≫
今回の北朝鮮をめぐる危機は、前回の九三−九四年の危機のレベルでは終わらない、より深刻な契機を多分に持っている。当時でさえアメリカを中心とする国際社会は北に対する経済制裁発動の瀬戸際まで行ったことを忘れてはならない。そしてアメリカがあの時、ギリギリで“危機回避”という名の先延ばしシナリオに屈した大きな理由は、日本という同盟国がアメリカとの共同行動に応じられない、具体的には集団的自衛権の行使に踏み切ろうとしないことがはっきりしたためであった。
しかもその結果、現在のより深刻な核危機と北のミサイル戦力の大幅な拡充へとつながり、日本の安全は今日はるかに差し迫った脅威にさらされることとなった。その後たしかに「日米ガイドライン」の制定と周辺事態法の成立を見たが、これらはいずれも現実として、日本による集団的自衛権の行使があり得ることを前提として機能しうるものである。目前で米軍が攻撃されているのに自衛隊が何らの行動にも出ない事態など、「同盟の全面崩壊」の光景そのものと言える。
このように現下の北朝鮮危機の切迫に鑑みれば、今国会では、何があっても有事関連法案を早期に成立させるだけでなく、集団的自衛権の行使に踏み切る政治の意志結集が強く求められる。その方向へ向けた「日本の決意」を見せることが何よりもこの危機をギリギリで抑止することにつながるからである。(なかにし てるまさ)
迫る北朝鮮危機の現状を直視せよ
≪未曾有の危機の到来≫
いよいよ日本に、「本当の危機」が到来しつつあるように見える。今回の北朝鮮をめぐる危機は、これまでの数十年間くり返されてきた半島危機とは全く様相を異にしたものとなろう。現実に日本の周辺や国内で、核やミサイルによる威嚇(いかく)や各種の破壊・ゲリラ活動が引き起こされる可能性も高く、戦後の日本社会にとって未曾有の危機へとつながる要素を含んでいる。まず差し迫っては、対イラク攻撃の始まりに照準を合わせ、北朝鮮は核再処理への着手宣言をはじめとする核危機のさらなるエスカレーションや、「ミサイル発射実験」を再開し日本周辺への現実の発射に踏み切ることなどが予測されている。また各種の破壊工作活動やテロの威嚇などに日本政府の一部でも深い懸念が広がっていると聞く。
考えてみると、これらはいずれも僅か四カ月余り前、あの小泉首相の訪朝によって合意された「日朝平壌宣言」でその放棄がはっきり約束されたことだった。今になってみれば、一体、あの合意は何だったのか、心の底から虚(むな)しさが込み上げてくる。一国の総理があえて国交のない国を訪れ、“歴史的な首脳会談の成果”として誇示した合意事項は今や跡形もなく雲散霧消し、日本列島は掛け値なしに昭和二十年以来の危機にさらされている。
≪間が悪い首相発言≫
それにしても、この首相の発言には何か、決定的な「間の悪さ」があると言わざるを得ない。日本周辺にこのような歴史的危機の切迫が叫ばれている、まさにそのさ中に、首相は今月五日の参議院本会議の場で、集団的自衛権の行使について、正面から「(その行使は)許されない。この点で小泉内閣の見解を変えることは考えていない」と言い切ってしまった。小泉首相は、政権発足以来これまで集団的自衛権の行使容認に向けての政府解釈の変更を視野に入れた論議の必要性を謳ってきた。たしかにそこでは、小泉内閣において解釈変更に踏み切ることはないとも付け加えていた。その意味ではこの場合、首相は「公約を守っているだけ」という意識なのかもしれない。
しかし五日の首相発言は政治的には明らかに従来の立場にくらべ「後ろ向き」のニュアンスに満ちた軌道修正であり、何よりもこの国に到来しつつある未曾有の安保脅威を前にして、その危機意識の低さを強く印象づけるものとなった。
しかし、たとえ小泉内閣では集団的自衛権行使についての解釈変更はしない、というのがこれまで一種の“公約”だったとしても、北朝鮮危機の進行次第では、これこそ「正面から破ってもよい公約」だということに気づかねばならない。そしてもしその違反を咎(とが)める声が起こったなら、その時こそ真正面から「大したことではない!」と反論すればよい。なぜなら、そこでは日本の国家としての存立と多数の日本国民の生命・財産が直接脅かされるという、真に差し迫った危険への対処が求められるからである。
≪深刻な日本の安全≫
今回の北朝鮮をめぐる危機は、前回の九三−九四年の危機のレベルでは終わらない、より深刻な契機を多分に持っている。当時でさえアメリカを中心とする国際社会は北に対する経済制裁発動の瀬戸際まで行ったことを忘れてはならない。そしてアメリカがあの時、ギリギリで“危機回避”という名の先延ばしシナリオに屈した大きな理由は、日本という同盟国がアメリカとの共同行動に応じられない、具体的には集団的自衛権の行使に踏み切ろうとしないことがはっきりしたためであった。
しかもその結果、現在のより深刻な核危機と北のミサイル戦力の大幅な拡充へとつながり、日本の安全は今日はるかに差し迫った脅威にさらされることとなった。その後たしかに「日米ガイドライン」の制定と周辺事態法の成立を見たが、これらはいずれも現実として、日本による集団的自衛権の行使があり得ることを前提として機能しうるものである。目前で米軍が攻撃されているのに自衛隊が何らの行動にも出ない事態など、「同盟の全面崩壊」の光景そのものと言える。
このように現下の北朝鮮危機の切迫に鑑みれば、今国会では、何があっても有事関連法案を早期に成立させるだけでなく、集団的自衛権の行使に踏み切る政治の意志結集が強く求められる。その方向へ向けた「日本の決意」を見せることが何よりもこの危機をギリギリで抑止することにつながるからである。(なかにし てるまさ)
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.