今こそ「ふるさと」防衛
投稿者: remember140917 投稿日時: 2003/02/09 16:35 投稿番号: [48851 / 232612]
心に響く言葉です。
言葉の浪費に終始する多事争論とは大変な違いだと思います。
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2003/02/09 (産経新聞朝刊)
一筆多論 論説委員 中静敬一郎今こそ「ふるさと」防衛 ( 2/ 9)
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「われわれが真に守るべき価値は何か」。元関西経済同友会代表幹事の井上義国氏(七一)=現ダイキン工業顧問=が、日本の安全保障の根幹を問い続けてから、二十五年になる。 一九七八年、同友会の「国の安全に関する国民意識調査団」一員として欧州を歴訪した井上氏が、愕然としたのは「守るべき価値」に対する国民意識の彼我の差だった。 「自主独立」(フランス)、「民主主義と慣習的諸制度」(イギリス)、「ドイツ民主主義と自由で豊かな市民社会」(西独)。
企業人、学者、ジャーナリストなどに「守るべき価値はなにか」と尋ねると、それぞれの国ごとに上記のような答えが一致して返ってきた。いずれの国も、守ろうとしている価値はその国の歴史と国民性に深く根ざし、国民の心の琴線に触れるスローガンになっていた。それに比べ、当時の日本は、井上氏が「防衛という言葉をおおぴっらに言えない雰囲気があった」と語るように、守るべき価値について国民的合意にほど遠い状況だった。絶対的平和主義が色濃く残っていたからだ。
だが、井上氏ら同友会は、企業がよって立つ基盤は国の安全であり、健全な国民意識の確立こそが必要と判断し、「守らなければならないものは民主主義と自由で安定した市民生活」であり、「守り抜くためには相応の犠牲とコスト負担が必要」と説いてきた。ただ、日本人の心がひとつになるスローガンを見つけ出すことはできなかった。
しかし、昨年九月十七日の日朝首脳会談を経て拉致された人たちが帰国してからは、国民の意識において潮目が変わったと井上氏は感じている。
一月十九日、神戸市内で開かれた「北朝鮮に拉致された日本人を救う会」集会では、参加者千三百人全員が最後に文部省唱歌「ふるさと」を歌った。第三番「志を果たして いつの日にか帰らん」では一段と力が入った。曽我ひとみさんが、北朝鮮に拉致されたあと、横田めぐみさんとたった二人で、夜、ふるさとを歌ったことを参加者は思い巡らしたからだ。取材していた神戸総局、山沢義徳記者(二五)は、「皆、思いを共有している。心がひとつになった」と実感したという。
ふるさとを愛する心こそ、日本誕生以来、日本に暮らす人々が培ってきたものだ、と語るのは桜美林大学国際学部の加藤朗教授(五二)である。ヨーロッパ近代に誕生した特殊な政治形態である国民国家のイデオロギーである「ナショナリズム」とはまったく別個で、「ナシオニズム」(郷土主義)と位置づけられるという。皇后陛下が拉致事件について「自分たち共同社会の出来事」と語られたように、共同社会とも言い直せる。加藤氏は、日本人がふるさとなり、共同社会を思う心情は、曽我ひとみさんが綴った次の言葉に言い尽くされていると指摘する。
「いま私は、夢をみているようです。人々の心、山、川、谷、みんな、あたたかく美しく見えます。空も、土地も、木も、私にささやく。『お帰りなさい』『がんばってきたね』だから私も、うれしそうに『帰ってきました。ありがとう』と元気に話します」
ふるさとを守る。常識的な結論には違いない。問題は、守るに値する「美しいふるさと」作りであり、それをいかにして守り抜くか、である。盾のひとつである有事法制も、国民の自覚と協力なくして機能しない。ふるさとや国を守るための負担はわれわれのためなのである。井上氏は、今こそ、日本人一人一人がふるさとを守るために声を上げ、行動すべき時だと確信している。
言葉の浪費に終始する多事争論とは大変な違いだと思います。
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2003/02/09 (産経新聞朝刊)
一筆多論 論説委員 中静敬一郎今こそ「ふるさと」防衛 ( 2/ 9)
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「われわれが真に守るべき価値は何か」。元関西経済同友会代表幹事の井上義国氏(七一)=現ダイキン工業顧問=が、日本の安全保障の根幹を問い続けてから、二十五年になる。 一九七八年、同友会の「国の安全に関する国民意識調査団」一員として欧州を歴訪した井上氏が、愕然としたのは「守るべき価値」に対する国民意識の彼我の差だった。 「自主独立」(フランス)、「民主主義と慣習的諸制度」(イギリス)、「ドイツ民主主義と自由で豊かな市民社会」(西独)。
企業人、学者、ジャーナリストなどに「守るべき価値はなにか」と尋ねると、それぞれの国ごとに上記のような答えが一致して返ってきた。いずれの国も、守ろうとしている価値はその国の歴史と国民性に深く根ざし、国民の心の琴線に触れるスローガンになっていた。それに比べ、当時の日本は、井上氏が「防衛という言葉をおおぴっらに言えない雰囲気があった」と語るように、守るべき価値について国民的合意にほど遠い状況だった。絶対的平和主義が色濃く残っていたからだ。
だが、井上氏ら同友会は、企業がよって立つ基盤は国の安全であり、健全な国民意識の確立こそが必要と判断し、「守らなければならないものは民主主義と自由で安定した市民生活」であり、「守り抜くためには相応の犠牲とコスト負担が必要」と説いてきた。ただ、日本人の心がひとつになるスローガンを見つけ出すことはできなかった。
しかし、昨年九月十七日の日朝首脳会談を経て拉致された人たちが帰国してからは、国民の意識において潮目が変わったと井上氏は感じている。
一月十九日、神戸市内で開かれた「北朝鮮に拉致された日本人を救う会」集会では、参加者千三百人全員が最後に文部省唱歌「ふるさと」を歌った。第三番「志を果たして いつの日にか帰らん」では一段と力が入った。曽我ひとみさんが、北朝鮮に拉致されたあと、横田めぐみさんとたった二人で、夜、ふるさとを歌ったことを参加者は思い巡らしたからだ。取材していた神戸総局、山沢義徳記者(二五)は、「皆、思いを共有している。心がひとつになった」と実感したという。
ふるさとを愛する心こそ、日本誕生以来、日本に暮らす人々が培ってきたものだ、と語るのは桜美林大学国際学部の加藤朗教授(五二)である。ヨーロッパ近代に誕生した特殊な政治形態である国民国家のイデオロギーである「ナショナリズム」とはまったく別個で、「ナシオニズム」(郷土主義)と位置づけられるという。皇后陛下が拉致事件について「自分たち共同社会の出来事」と語られたように、共同社会とも言い直せる。加藤氏は、日本人がふるさとなり、共同社会を思う心情は、曽我ひとみさんが綴った次の言葉に言い尽くされていると指摘する。
「いま私は、夢をみているようです。人々の心、山、川、谷、みんな、あたたかく美しく見えます。空も、土地も、木も、私にささやく。『お帰りなさい』『がんばってきたね』だから私も、うれしそうに『帰ってきました。ありがとう』と元気に話します」
ふるさとを守る。常識的な結論には違いない。問題は、守るに値する「美しいふるさと」作りであり、それをいかにして守り抜くか、である。盾のひとつである有事法制も、国民の自覚と協力なくして機能しない。ふるさとや国を守るための負担はわれわれのためなのである。井上氏は、今こそ、日本人一人一人がふるさとを守るために声を上げ、行動すべき時だと確信している。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.