>核抑止論の実像と虚像
投稿者: masa4618 投稿日時: 2003/02/08 22:48 投稿番号: [48616 / 232612]
ありがとうございます。安保の問題その1・その2とともに、よく読ませていただきました。
この論文の中の「日本は米国の核に守られていて日本の自衛隊は核のもとの抑止力であり、そのための日米安全保障条約は至上であり、触れてはならぬ聖域だということになる。そうなると抑止とは武力行使をしないことでもあるから、自衛隊を抑止力と表現するのは、いずれ核に頼るのだから、本来の防衛力整備にあまり真剣でなくてもよいという気持ちに傾き、遂には安全保障を自らは何もしないで米国に頼りっぱなしという、まったくの自主性喪失に陥る。対米外交に自主性を出せなかった当局者が、国内向けの言い訳に「米国に守ってもらっているのだから」と、日米安保条約至上論を持ち出すことがあったのも、この思い込みのためと思う。」というところは、考え直すべきところだとも思いました。
また、やはり核を持っている国と対峙する時には、核をもたざるをえなくなるのかと考えてしまう。
MDでは、抑止力という観点から過ぎると弱すぎますかね。専守防衛という基本を守るという自分の考えは甘いのかなと思いました。
特に北の核もそうだが、中国の核を考えると、将来的な展望は現在のままでは、「憂い」が強くなるばかりですね。
一層のこと、非軍事・非核三原則を貫き、「座して死を待つ」とまで達観できればそれはそれでいいのかもしれませんが・・・
これは メッセージ 48339 (t2daiisuki48 さん)への返信です.
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