小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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骨抜きの政治家

投稿者: ahoahoahocham5 投稿日時: 2003/02/05 00:33 投稿番号: [47567 / 232612]
日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか」   佐藤勝巳   2002年   草思社
北朝鮮からみた対日政策でもっとも重要なことは、日本の政治をいかにして韓国から引き離し、北朝鮮寄りにもっていくかにある。私は帰国運動の第一線にいたとき、信じがたいことを目撃した。1963(昭和38)年5月1日、総聯は「祖国自由往来」なる運動を提起した。在日朝鮮人が北朝鮮に自由に往来できるようにするという運動だが、そのためにとった戦術は、まずは地方議会にこれを決議させ、日本政府に圧力をかけるというものである。地方議員は圧倒的に保守系であったが、この人たちの賛成がなければ決議は実現できない。そこで総聯は、「飲ませる、食わせる」はもちろんのこと買収あるいは女性を与えるという、「目的のためには手段を選ばぬ」方法をとった。みるにみかねた私は、公式の会議の場で総聯の責任者に向かって「間違った運動である」と批判した。彼は「われわれの苦痛がわからないから、そんなことをいうのだ」と答えた。振りかえってみると当時は、「日韓会談反対」などといっても耳を貸す人がいないとなると、役員が「佐藤君、労働組合の幹部を集めて総聯にご馳走してもらって、運動をもりあげよう」といっているような時代だった。そのころの私は朝鮮問題にかかわって数年、右も左もわからない若僧だった。だから、県の総聯の責任者や日本人役員は特別なのだろうぐらいにしか思わなかった。

しかし、その後、東京にでてきた私の視野はいっきょにひろがった。私は現代コリア研究所の前身である「日本朝鮮研究所」に所属した。以後、総聯幹部から入ってくるのは「社会党の議員にカネをいくらやった」とか「学者にこれだけやった」といった薄汚い話ばかりで、田舎からやって来た私はわが耳を疑った。新潟では想像もできないほど不気味な世界が東京にはあった。なにをして食べているのかわからない人たちがゴロゴロしている。総聯活動家のいっていることも、はたしてどこまで信じていいのか、私にはわからなくなった。1968(昭和43)年、日本朝鮮研究所は北朝鮮の評価をめぐって揺れていた。その年の暮れも押しつまったころ、総聯国際部の幹部が私に会いたいといい、彼はこう申しでた。「おたくは、組織は大きくないが雑誌をもっているので無視できない存在です。年を越すのに必要なカネをいってください。援助します」私はこれを丁重に断った。もうそのころには、総聯幹部の申し出がなにを意味するのかわからないほど私も幼くはなかった。

同じころ、こんな経験もした。ある在日朝鮮人の知人に頼まれて出版社を紹介し、その人の本がそこから出版されることが決まった。食事を一緒にして別れぎわに彼は私のポケットにおカネをねじこんできた。そのとき私は、朝鮮人はわれわれとカネにたいする感覚がちがうのではないかと気がついた。さらにそれから十年近くたってからのことである。見知らぬ朝鮮人から会いたいという電話があり、私たちは新橋のホテルで食事をした。その人物はいった。
「私は北朝鮮の対外調査部と関係がある人間です。こんご、つき合ってもらえませんか」
「最初からそうやって身分を明らかにしていただくと助かります。おつき合いするのはかまいませんよ」
私がそういった瞬間、彼は衆人環視のなか右手に握っていた札束をいきなり私のポケットに入れようとした。私は慌てて断ったのだが、一瞬、この場面が写真に撮られているのではないかと思って周囲をみまわした。
日本の社会では近づきのしるしにカネを渡すということはない。私はこの一件があって以来、朝鮮半島の南北の政治の世界でのカネのありように注目するようになった。
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