自衛隊誕生の一つの原因
投稿者: ahoahoahochan5 投稿日時: 2003/02/04 22:09 投稿番号: [47513 / 232612]
武闘の果て
このような武装闘争の連続は1954年にはいると様変りした。前年3月のスターリンの死以後、朝鮮戦争の休戦、ジュネーブ会議の開催とつづき、国際共産主義運動は、その過激な革命主義の矛を一時収めたからである。日本共産党も運動路線を変更し、「日本と朝鮮の国交正常化を実現し得る新組織をつくれ」という非公然通達を流した。この結果、民戦は解散し、翌1955年には「在日朝鮮人総連合」が結成され、この組織は、いわゆる「朝総連」として今日も続いている。そして朝鮮民主主義人民共和国の方針により、「朝総連」は「日本に存在する朝鮮公民として節度を堅持し、日本の内政には一切干渉しない」との方針を確立して、その運動もひとまず沈静化するにいたった。これまで、日本の内政に干渉してきたことを自認したわけである。
「日本の中の三十八度線」の著者李瑜煥氏は、この武装闘争について次のように述べている。
当時頻発した日共系暴力事件の前衛、尖兵として犠牲に供せられ、前科ものとして在日朝鮮人の犯罪率を高め、経済的に貧困化し青年学徒で勉学を中途で放棄しなければならなくなったものは無数で、その犠牲はあまりにも大きかった。そればかりではなく、今日の日本人の対韓国・朝鮮人観に、暴力的で粗暴だというイメージを植えつける大きな要因にもなっている。
(中略)
「朝総連」は、戦後の日本のほとんどの騒擾事件において共産党とともに主役を演じ、団体等規制令で解散させられた「朝連」の後継者であることは誰の目にも明らかである。現に「総連」の議長韓徳銖氏は「朝連」の有力幹部であったという。朝鮮人は、自分たちだけが半世紀ばかり昔の日本人の悪虐な行為を忘れないつもりでいるかもしれないが、多くの日本人も、少なくとも日本政府は、わずか30年前、朝鮮人が日本国家を転覆する意図をもって暴動をおこし、革命を呼号したことを忘れてはいないのである。朝総連系の主張していることには、それだけをとりあげれば一応もっともといえることも皆無ではない。しかし国際関係において彼らが置かれている立場、そして彼らがしてきたことを考えれば、彼らの議論は大部分その基礎を失うであろう。
これらの所業が在日朝鮮人の日本企業就職問題に悪影響を及ぼした。
暴動の実態・・・・・吹田騒乱事件の場合
「戦後事件史」 昭和57年 警察文化協会刊
吹田騒乱事件(昭和27年6月24日)朝鮮動乱二周年の「前夜祭」といわれた大阪府学連主催の「伊丹基地粉砕、反戦、独立の夕」は午後8時から豊中市の阪大北校グラウンドに北鮮共、学生、自由労組など約1000名が集って開かれ、集会は気勢をあげて終わったが夜がふけるとともにデモ隊は吹田市を中心に各所に分散出没し、出動した800名の警官を悩ませた。
デモ隊は阪急石橋駅に押しかけて"人民列車"を運転させて乗りこみ、吹田操車場になだれ込んで、警官から奪ったピストルを発射したり、派出所を襲って破壊したり、火炎ビンや硫酸を投げつけるなど暴行を働き、警官もピストルで応ずるなど双方に負傷者を出した。大阪警視庁はデモ隊60名を逮捕した。負傷者は警官側が42名(内重傷6名)デモ隊は11名(内重傷6名)をだした。
この事件の詳細を追ってみる−
集会は24日午後11時20分に終わったが、学生500、朝鮮人600の参加者は解散せず、新聞社の写真班からフィルムを奪って火中に投げ報道陣を容易に寄せ付けなかった。25日午前0時半竹やり、こん棒を持った約400名の学生、朝鮮人の一団が押し出し、午前一時ごろ阪急石橋駅になだれ込み……
Link 左翼系在日朝鮮人騒乱史 (HP 秋津嶋案内所)
三国人集団の過激な暴動に対して警察の力では治安の維持ができなかった。そのことが強力な武装を持つ警察予備隊(自衛隊の前身)創設の要因となるのである。
このような武装闘争の連続は1954年にはいると様変りした。前年3月のスターリンの死以後、朝鮮戦争の休戦、ジュネーブ会議の開催とつづき、国際共産主義運動は、その過激な革命主義の矛を一時収めたからである。日本共産党も運動路線を変更し、「日本と朝鮮の国交正常化を実現し得る新組織をつくれ」という非公然通達を流した。この結果、民戦は解散し、翌1955年には「在日朝鮮人総連合」が結成され、この組織は、いわゆる「朝総連」として今日も続いている。そして朝鮮民主主義人民共和国の方針により、「朝総連」は「日本に存在する朝鮮公民として節度を堅持し、日本の内政には一切干渉しない」との方針を確立して、その運動もひとまず沈静化するにいたった。これまで、日本の内政に干渉してきたことを自認したわけである。
「日本の中の三十八度線」の著者李瑜煥氏は、この武装闘争について次のように述べている。
当時頻発した日共系暴力事件の前衛、尖兵として犠牲に供せられ、前科ものとして在日朝鮮人の犯罪率を高め、経済的に貧困化し青年学徒で勉学を中途で放棄しなければならなくなったものは無数で、その犠牲はあまりにも大きかった。そればかりではなく、今日の日本人の対韓国・朝鮮人観に、暴力的で粗暴だというイメージを植えつける大きな要因にもなっている。
(中略)
「朝総連」は、戦後の日本のほとんどの騒擾事件において共産党とともに主役を演じ、団体等規制令で解散させられた「朝連」の後継者であることは誰の目にも明らかである。現に「総連」の議長韓徳銖氏は「朝連」の有力幹部であったという。朝鮮人は、自分たちだけが半世紀ばかり昔の日本人の悪虐な行為を忘れないつもりでいるかもしれないが、多くの日本人も、少なくとも日本政府は、わずか30年前、朝鮮人が日本国家を転覆する意図をもって暴動をおこし、革命を呼号したことを忘れてはいないのである。朝総連系の主張していることには、それだけをとりあげれば一応もっともといえることも皆無ではない。しかし国際関係において彼らが置かれている立場、そして彼らがしてきたことを考えれば、彼らの議論は大部分その基礎を失うであろう。
これらの所業が在日朝鮮人の日本企業就職問題に悪影響を及ぼした。
暴動の実態・・・・・吹田騒乱事件の場合
「戦後事件史」 昭和57年 警察文化協会刊
吹田騒乱事件(昭和27年6月24日)朝鮮動乱二周年の「前夜祭」といわれた大阪府学連主催の「伊丹基地粉砕、反戦、独立の夕」は午後8時から豊中市の阪大北校グラウンドに北鮮共、学生、自由労組など約1000名が集って開かれ、集会は気勢をあげて終わったが夜がふけるとともにデモ隊は吹田市を中心に各所に分散出没し、出動した800名の警官を悩ませた。
デモ隊は阪急石橋駅に押しかけて"人民列車"を運転させて乗りこみ、吹田操車場になだれ込んで、警官から奪ったピストルを発射したり、派出所を襲って破壊したり、火炎ビンや硫酸を投げつけるなど暴行を働き、警官もピストルで応ずるなど双方に負傷者を出した。大阪警視庁はデモ隊60名を逮捕した。負傷者は警官側が42名(内重傷6名)デモ隊は11名(内重傷6名)をだした。
この事件の詳細を追ってみる−
集会は24日午後11時20分に終わったが、学生500、朝鮮人600の参加者は解散せず、新聞社の写真班からフィルムを奪って火中に投げ報道陣を容易に寄せ付けなかった。25日午前0時半竹やり、こん棒を持った約400名の学生、朝鮮人の一団が押し出し、午前一時ごろ阪急石橋駅になだれ込み……
Link 左翼系在日朝鮮人騒乱史 (HP 秋津嶋案内所)
三国人集団の過激な暴動に対して警察の力では治安の維持ができなかった。そのことが強力な武装を持つ警察予備隊(自衛隊の前身)創設の要因となるのである。
これは メッセージ 47512 (ahoahoahochan5 さん)への返信です.