闇の歴史
投稿者: ahoahoahochan5 投稿日時: 2003/02/04 21:59 投稿番号: [47509 / 232612]
戦後日本に居残った朝鮮人の中に共産党系の者が多数いた。
「韓国・北朝鮮総覧1984」 1983年 原書房
(戦後間もない時期、朝鮮人半島引き揚げ者が次第に減少していったことについて)
この原因について篠崎氏は「朝鮮内における政治上、経済上の不安定から帰国後の生活が不安であること、コレラ病流行、これらの情勢が誇大に朝鮮人間に伝えられたこと、携行金品に制限があったこと」などをあげている。
さらに日本赤十字社では「その大部分は日本共産党が扇動したものである。日本共産党は戦時中完全に弾圧されていたが、連合軍の進駐とともに解放され、当時の社会事情を利用して急激にその勢力を増していった。1946年2月、金天海日本共産党中央委員(在日朝鮮人)は、その機関誌「前衛」第1号に、"在日朝鮮人は日本に定住し革命に参加せよ" という指令を載せ、日本政府が引き揚げの努力をしている最中にこれに反対する態度をとった。」(一部在日朝鮮人の帰国問題)と、その引揚げ者減少の理由を指摘している。
金天海は在日朝鮮人のカリスマ的指導者で彼の影響はすこぶる大きかった。宮崎学著「不逞者」に登場
日本共産党の尖兵として騒擾(そうじょう)事件を起こす。当時、共産党は一国一党の時代で在日朝鮮人が多数参加していた。
「体験で語る解放後の在日朝鮮人運動」 姜在彦 1989年 神戸学生青年センター出版部
(1951年1月に非合法的に結成された民戦に対する日本共産党の指導方針が出され)
在日朝鮮人は日本の中の少数民族であり、日本革命の同盟軍であるとされたわけです。したがって、日本革命を成し遂げることなしには、在日朝鮮人の問題は何一つ解決できないとされたわけです。だから我々は、日本共産党員として、まさに日本の革命をやることが、朝鮮の革命と在日同胞の地位向上に寄与することになるんだと考えたわけです。
(中略)
この時の在日朝鮮人の運動について書いたものに、鄭東文氏の「転換期に立つ朝鮮人運動」(日本共産党関西地方委員会、1949年10月)があります。この鄭東文という人は、共産党の民族対策部の人で、中央委員会のメンバーの一人でした。「転換期に立つ朝鮮人運動」は、少数民族は独自の中央組織を持つ必要はない、各地域の組織に属して日本の組織と連帯し、日本の革命を遂行すべきだ、と言うようなことを述べています。だから実際、朝連(在日本朝鮮人連盟)が解散させられたのち、皆地域の朝鮮人協会であるとか、学校のPTAにはいれ、ということが言われていました。そしてPTAを革命化せよ、地域を革命化せよ、という、読み方によっては、朝連解散を喜んでいるようにも取れる方針でした。だから、少数民族の組織というものはすべて末端の組織において日本人と連帯しながら、まず第一に日本革命を遂行するのに大一義的目標をおくべきだ、というものでした。
「韓国・北朝鮮総覧1984」 1983年 原書房
(戦後間もない時期、朝鮮人半島引き揚げ者が次第に減少していったことについて)
この原因について篠崎氏は「朝鮮内における政治上、経済上の不安定から帰国後の生活が不安であること、コレラ病流行、これらの情勢が誇大に朝鮮人間に伝えられたこと、携行金品に制限があったこと」などをあげている。
さらに日本赤十字社では「その大部分は日本共産党が扇動したものである。日本共産党は戦時中完全に弾圧されていたが、連合軍の進駐とともに解放され、当時の社会事情を利用して急激にその勢力を増していった。1946年2月、金天海日本共産党中央委員(在日朝鮮人)は、その機関誌「前衛」第1号に、"在日朝鮮人は日本に定住し革命に参加せよ" という指令を載せ、日本政府が引き揚げの努力をしている最中にこれに反対する態度をとった。」(一部在日朝鮮人の帰国問題)と、その引揚げ者減少の理由を指摘している。
金天海は在日朝鮮人のカリスマ的指導者で彼の影響はすこぶる大きかった。宮崎学著「不逞者」に登場
日本共産党の尖兵として騒擾(そうじょう)事件を起こす。当時、共産党は一国一党の時代で在日朝鮮人が多数参加していた。
「体験で語る解放後の在日朝鮮人運動」 姜在彦 1989年 神戸学生青年センター出版部
(1951年1月に非合法的に結成された民戦に対する日本共産党の指導方針が出され)
在日朝鮮人は日本の中の少数民族であり、日本革命の同盟軍であるとされたわけです。したがって、日本革命を成し遂げることなしには、在日朝鮮人の問題は何一つ解決できないとされたわけです。だから我々は、日本共産党員として、まさに日本の革命をやることが、朝鮮の革命と在日同胞の地位向上に寄与することになるんだと考えたわけです。
(中略)
この時の在日朝鮮人の運動について書いたものに、鄭東文氏の「転換期に立つ朝鮮人運動」(日本共産党関西地方委員会、1949年10月)があります。この鄭東文という人は、共産党の民族対策部の人で、中央委員会のメンバーの一人でした。「転換期に立つ朝鮮人運動」は、少数民族は独自の中央組織を持つ必要はない、各地域の組織に属して日本の組織と連帯し、日本の革命を遂行すべきだ、と言うようなことを述べています。だから実際、朝連(在日本朝鮮人連盟)が解散させられたのち、皆地域の朝鮮人協会であるとか、学校のPTAにはいれ、ということが言われていました。そしてPTAを革命化せよ、地域を革命化せよ、という、読み方によっては、朝連解散を喜んでいるようにも取れる方針でした。だから、少数民族の組織というものはすべて末端の組織において日本人と連帯しながら、まず第一に日本革命を遂行するのに大一義的目標をおくべきだ、というものでした。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.