北朝鮮は今も同じことをしている
投稿者: ahoahoahochan5 投稿日時: 2003/02/03 23:28 投稿番号: [47321 / 232612]
「一億人の昭和史
―日本占領3
ゼロからの出発―」
1980年
毎日新聞社
昭和25年当時、国際港神戸はまた日本一の密貿易の根拠地でもあった。巨大な国際密輸シンジケートがいたるところ張り巡らされ、瀬戸内海へ何十隻もの密輸船が出航…
(中略)
ところで、当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で行なわれていた。神戸が第三国人の根拠地となっており、東京、横浜に比べ旧外地に近かったこともあり、密輸量は日本一。(中略)国際密輸組織の中核は一貫して第三国人だった。
敗戦後、神戸に三宮駅から神戸駅まで約2キロに及ぶ全国に例をみない大ヤミ市場ができたが、密輸品の多くはここでさばかれた。そこに大きな勢力を張っていたのが数万人の第三国人で、戦勝国意識を誇示するため腕章をつけ、日本の警察権を一切認めようとしなかった。こうした特権をフルに利用、密輸団を操る黒幕になった三国人もでた… 黒幕だった三国人のなかには、密輸の巨利で今は正業につき、実業家として幅をきかしている者もいるといわれる。
敗戦後の社会の混乱に乗じて徒党を組み、戦勝国人なりと称して日本の法律を無視し統制物資のヤミ売買、強・窃盗、密造酒や覚せい剤の製造密売、土地建物の違法占拠など不法行為をほしいままにし、戦後の混乱を拡大したのである。
「朝日新聞記者の証言5 -戦後混乱期の目撃者-」 菅野長吉 昭和56年 朝日ソノラマ
(引用1)
「あらゆるものはヤミに走った」といってもいい過ぎではなかった。戦時中は「国家総動員法」という基本法があって、あらゆるものが総合的に統制運用され、子どもにまで「欲しがりません、勝つまでは――」といわせた。それが20年12月20日に廃止されると、あらゆる物資がせきを切って暴騰した。都市の人口は日毎にふくれあがり、食糧不足から餓死者も出る有り様だったから、抑えようがない。東京では、むしろこれに拍車をかけたのが、警視庁が21年1月21日からはじめた主食とその加工品の取り締まり強化である。当然、非合法商法が横行しはじめた。しかも、当時の取り締まり当局には、これら非合法行為を防止するための物もカもない。これに眼をつけたのが、戦勝国人なりとする一部の第三国人の〃特権〃乱用と、裏街道を生きるテキ屋集団である。彼らは正常ルートを通すべき物資を巧みに横流しし、第三国人はその立場を利用してあらゆる物資を動かす。場所には困らない。大都市の要所はほとんど焼け野原となっていたから、集団のカによれば簡単に占有できた。こうして東京では、上野、新橋、新宿、池袋、渋谷などに急造のマーケットが建った。ヤミ物資の市〃ヤミ市〃である。ここには、配給では手に入らないあらゆる物資が公然と氾濫したから庶民は目の色をかえて集まった。
ヤミ商人たちは、禁制品や統制品を公定価格の10倍から20倍という法外な値段で暴利をむさぼったから、やせ細る庶民とは反対に、日に日に肥え太り、集団もその環を拡げてゆく。繩張りを主張する集団間の争いもはげしくなり、治安問題となってきた。手を焼いた警視庁は、ヤミ市の〃自治強化〃のため地区単位に組合を結成させたが、これがかえってボスを台頭させる結果になり、勢力を助長させた。新宿の尾津組、新橋の安田組などは、組合員と称する配下が3000とも4000ともいわれた。また当時は第三国人に対する警察の捜査権も確立していなかったから、第三国人は勝手なことができた。一時期、この大集団に対して、確かに警察は無力で、ヤミ市の治安はそれら集団の自治に委せざるをえない事情にあった。彼らが自らを〃夜の警察〃と自負していたのもこういうことからである。
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(引用2)
戦後日本の特殊な存在として第三国人というのがあった。今やこの呼称は全くの死語となったが、戦後混乱期には国民生活に大きな影響を持った。第三国人というのは、日本のポツダム宣言受諾によって、日本の帰属から離れることになる朝鮮、台湾などの出身者で、戦前から日本に居住していた人たちに対して、講和条約の発効まで一般的につかっていた非公式な呼称で、この人たちは日本人てはないが、かといって外国人でもないという特殊な立場にあった。講和条約発効までの限られた期間ではあったが、これら第三国人に対しては、日本の裁判権行使もあいまいだったところから、彼らの一部には、治外法権があるかのような優越感を抱かせ、社会の混乱に乗じて徒党を組み、統制物資のヤミ売買、強・窃盗、土地建物の不法占拠などの不法行為をほしいままにし、戦後の混乱を拡大した。
昭和25年当時、国際港神戸はまた日本一の密貿易の根拠地でもあった。巨大な国際密輸シンジケートがいたるところ張り巡らされ、瀬戸内海へ何十隻もの密輸船が出航…
(中略)
ところで、当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で行なわれていた。神戸が第三国人の根拠地となっており、東京、横浜に比べ旧外地に近かったこともあり、密輸量は日本一。(中略)国際密輸組織の中核は一貫して第三国人だった。
敗戦後、神戸に三宮駅から神戸駅まで約2キロに及ぶ全国に例をみない大ヤミ市場ができたが、密輸品の多くはここでさばかれた。そこに大きな勢力を張っていたのが数万人の第三国人で、戦勝国意識を誇示するため腕章をつけ、日本の警察権を一切認めようとしなかった。こうした特権をフルに利用、密輸団を操る黒幕になった三国人もでた… 黒幕だった三国人のなかには、密輸の巨利で今は正業につき、実業家として幅をきかしている者もいるといわれる。
敗戦後の社会の混乱に乗じて徒党を組み、戦勝国人なりと称して日本の法律を無視し統制物資のヤミ売買、強・窃盗、密造酒や覚せい剤の製造密売、土地建物の違法占拠など不法行為をほしいままにし、戦後の混乱を拡大したのである。
「朝日新聞記者の証言5 -戦後混乱期の目撃者-」 菅野長吉 昭和56年 朝日ソノラマ
(引用1)
「あらゆるものはヤミに走った」といってもいい過ぎではなかった。戦時中は「国家総動員法」という基本法があって、あらゆるものが総合的に統制運用され、子どもにまで「欲しがりません、勝つまでは――」といわせた。それが20年12月20日に廃止されると、あらゆる物資がせきを切って暴騰した。都市の人口は日毎にふくれあがり、食糧不足から餓死者も出る有り様だったから、抑えようがない。東京では、むしろこれに拍車をかけたのが、警視庁が21年1月21日からはじめた主食とその加工品の取り締まり強化である。当然、非合法商法が横行しはじめた。しかも、当時の取り締まり当局には、これら非合法行為を防止するための物もカもない。これに眼をつけたのが、戦勝国人なりとする一部の第三国人の〃特権〃乱用と、裏街道を生きるテキ屋集団である。彼らは正常ルートを通すべき物資を巧みに横流しし、第三国人はその立場を利用してあらゆる物資を動かす。場所には困らない。大都市の要所はほとんど焼け野原となっていたから、集団のカによれば簡単に占有できた。こうして東京では、上野、新橋、新宿、池袋、渋谷などに急造のマーケットが建った。ヤミ物資の市〃ヤミ市〃である。ここには、配給では手に入らないあらゆる物資が公然と氾濫したから庶民は目の色をかえて集まった。
ヤミ商人たちは、禁制品や統制品を公定価格の10倍から20倍という法外な値段で暴利をむさぼったから、やせ細る庶民とは反対に、日に日に肥え太り、集団もその環を拡げてゆく。繩張りを主張する集団間の争いもはげしくなり、治安問題となってきた。手を焼いた警視庁は、ヤミ市の〃自治強化〃のため地区単位に組合を結成させたが、これがかえってボスを台頭させる結果になり、勢力を助長させた。新宿の尾津組、新橋の安田組などは、組合員と称する配下が3000とも4000ともいわれた。また当時は第三国人に対する警察の捜査権も確立していなかったから、第三国人は勝手なことができた。一時期、この大集団に対して、確かに警察は無力で、ヤミ市の治安はそれら集団の自治に委せざるをえない事情にあった。彼らが自らを〃夜の警察〃と自負していたのもこういうことからである。
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(引用2)
戦後日本の特殊な存在として第三国人というのがあった。今やこの呼称は全くの死語となったが、戦後混乱期には国民生活に大きな影響を持った。第三国人というのは、日本のポツダム宣言受諾によって、日本の帰属から離れることになる朝鮮、台湾などの出身者で、戦前から日本に居住していた人たちに対して、講和条約の発効まで一般的につかっていた非公式な呼称で、この人たちは日本人てはないが、かといって外国人でもないという特殊な立場にあった。講和条約発効までの限られた期間ではあったが、これら第三国人に対しては、日本の裁判権行使もあいまいだったところから、彼らの一部には、治外法権があるかのような優越感を抱かせ、社会の混乱に乗じて徒党を組み、統制物資のヤミ売買、強・窃盗、土地建物の不法占拠などの不法行為をほしいままにし、戦後の混乱を拡大した。
これは メッセージ 47320 (ahoahoahochan5 さん)への返信です.