朝鮮半島の実態
投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 23:42 投稿番号: [47122 / 232612]
朝鮮総督府の統治は、このほかならぬ近代医学による衛生環境の改善と疫病の僕滅によって、インフラの整備と同様に、いやそれ以上に、朝鮮半島の生命保全、韓民族の繁栄に大きな貢献をなしえた。今日、この分野に関してあまり語られていないのは、じつに驚きである。朝鮮総督府はインド、中国から朝鮮半島にわたって、猛威を振るっていたハンセン病退治のために、救ライ事業として世界的規模を誇り、もっとも完備された施設を持つ小鹿島更生園をつくって、6000人以上を収容した。このような破天荒的な努力について、朝鮮の近代史研究者は、なぜ語ろうとしないのであろうか。
..
朝鮮人人口の推移、急激な増加がみてとれ李朝時代と比べると倍増している。 総督府は農地開拓を進めて農業人口を増やしたが、それ以上に人口が増加した。
「朝鮮総督府統計年報」 朝鮮総督府編
年次 総数 (注)年末常住人口・1944年は5月
1910 1312万8780人 (注)初期の調査は精度が低いとされている
1915 1595万7630人
1920 1691万6078人
1925 1854万3326人
1930 1968万5587人
1935 2124万8864人
1940 2295万4563人
1944 2512万0174人 (この他に日本内地や満州に数多くの朝鮮人がいた)
ココ重要です。朝鮮人渡日の原因を強制連行と土地収奪に求めている反日連中は、人口の爆発的増加を無視しています。HPや関連書籍を読む時ぜひチェックしてみてください。
..
人口の増加は日本だと商業・工業の発展で吸収していったが、朝鮮の場合過剰人口は半島外に活路を求めた。北部の者は満州へ農業移民となり、南部の者は日本へ賃金労働者として移り住んだ。これが現在の在日コリアン1世である。
..
農家の過剰人口である土地を相続できない次男三男は、分家の手段として日本での労働・移住を選んだ。
「朝鮮経済の史的断章」 近藤康男 昭和62年 農山漁村文化協会
朝鮮農村の人口流出メカニズム
昭和15年日満農政研究会東京事務局の報告書『朝鮮農村の人口排出機構』は、南鮮の人口流出の実情を客観的に分析した価値高いもので、以下はその要約である。
(中略)
(分家する場合)零細農の次男以下の場合は、親から所有地を分譲されることのないのは言うまでもなく、結婚費用も出して貰えないので、大体10年近く朝鮮内で年雇生活をして得た貯蓄で結婚をし、雇い主などから若干の土地を借入れて独立するのが唯一の分家の方式であった。しかし用地難に加えて主従関係が昔のようでなくなったので、年雇から小作農に独立という途は狭き途となった。
そこへ日本の労働市場の開放は小農の分家方式の新しいひとつとなった。……分家方式をとった日本への移住者も渡航当初は大部分が無配偶者であったが、それが結婚費用を稼いで妻を迎えたのである。……彼らは日本に分家の手段だけでなく定着の場所をも見つけているのである。これまでは、日本で多少の貯蓄をすれば故郷に帰って、結婚と分家をし、また土地を購入することを目標にもって海を渡ったものであるが、今やこのような夢はすてている。
生活意識が高まるにつれて、朝鮮農村がその安住の地でなくなるのである。若い者は、日本へ出発の当初から、出稼ぎ心理というより、自由な社会生活を求める移住の気持ちが強く作用している。これは次男三男に限らず、夫や長男の場合においても、妻子を同行ないし呼び寄せたり、あるいは日本で結婚して定着する傾向が強くなっているのは否めない事実である。……日本へ渡航した者で昭和8年ごろから帰村者の減少傾向が著しい。これも同じく出稼ぎより移住へを示すものであろう。
日本でも生活意識の変化で、若者が農村の生活を嫌って都会へ流出していった。同じようなことが朝鮮でも起こったのであろう。
.
農家を相続できない次男三男が仕事を求めて日本に渡って来たというのは、在日1世の平均渡日年齢が19.1歳と非常に若いことからも推測できる。
..
朝鮮人人口の推移、急激な増加がみてとれ李朝時代と比べると倍増している。 総督府は農地開拓を進めて農業人口を増やしたが、それ以上に人口が増加した。
「朝鮮総督府統計年報」 朝鮮総督府編
年次 総数 (注)年末常住人口・1944年は5月
1910 1312万8780人 (注)初期の調査は精度が低いとされている
1915 1595万7630人
1920 1691万6078人
1925 1854万3326人
1930 1968万5587人
1935 2124万8864人
1940 2295万4563人
1944 2512万0174人 (この他に日本内地や満州に数多くの朝鮮人がいた)
ココ重要です。朝鮮人渡日の原因を強制連行と土地収奪に求めている反日連中は、人口の爆発的増加を無視しています。HPや関連書籍を読む時ぜひチェックしてみてください。
..
人口の増加は日本だと商業・工業の発展で吸収していったが、朝鮮の場合過剰人口は半島外に活路を求めた。北部の者は満州へ農業移民となり、南部の者は日本へ賃金労働者として移り住んだ。これが現在の在日コリアン1世である。
..
農家の過剰人口である土地を相続できない次男三男は、分家の手段として日本での労働・移住を選んだ。
「朝鮮経済の史的断章」 近藤康男 昭和62年 農山漁村文化協会
朝鮮農村の人口流出メカニズム
昭和15年日満農政研究会東京事務局の報告書『朝鮮農村の人口排出機構』は、南鮮の人口流出の実情を客観的に分析した価値高いもので、以下はその要約である。
(中略)
(分家する場合)零細農の次男以下の場合は、親から所有地を分譲されることのないのは言うまでもなく、結婚費用も出して貰えないので、大体10年近く朝鮮内で年雇生活をして得た貯蓄で結婚をし、雇い主などから若干の土地を借入れて独立するのが唯一の分家の方式であった。しかし用地難に加えて主従関係が昔のようでなくなったので、年雇から小作農に独立という途は狭き途となった。
そこへ日本の労働市場の開放は小農の分家方式の新しいひとつとなった。……分家方式をとった日本への移住者も渡航当初は大部分が無配偶者であったが、それが結婚費用を稼いで妻を迎えたのである。……彼らは日本に分家の手段だけでなく定着の場所をも見つけているのである。これまでは、日本で多少の貯蓄をすれば故郷に帰って、結婚と分家をし、また土地を購入することを目標にもって海を渡ったものであるが、今やこのような夢はすてている。
生活意識が高まるにつれて、朝鮮農村がその安住の地でなくなるのである。若い者は、日本へ出発の当初から、出稼ぎ心理というより、自由な社会生活を求める移住の気持ちが強く作用している。これは次男三男に限らず、夫や長男の場合においても、妻子を同行ないし呼び寄せたり、あるいは日本で結婚して定着する傾向が強くなっているのは否めない事実である。……日本へ渡航した者で昭和8年ごろから帰村者の減少傾向が著しい。これも同じく出稼ぎより移住へを示すものであろう。
日本でも生活意識の変化で、若者が農村の生活を嫌って都会へ流出していった。同じようなことが朝鮮でも起こったのであろう。
.
農家を相続できない次男三男が仕事を求めて日本に渡って来たというのは、在日1世の平均渡日年齢が19.1歳と非常に若いことからも推測できる。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.