小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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全く呆れる 朝鮮

投稿者: ahoahoahocha4 投稿日時: 2003/02/02 22:51 投稿番号: [47062 / 232612]
朝鮮農民の手本だった日本人農民(労働が報われる時代がやってきた)
「歪められた朝鮮総督府」   黄文雄   1998   光文社
日本人の朝鮮半島に対する「土地強奪」間題としてよく批判されているのは、日本人が小高い丘に登って見渡し、土地を指さして、手当たりしだいに良田を奪っていったというものだ。日本人は両班(ヤンバン)ではあるまいし、法治国家の国民である。これほどの歴史歪曲があろうか。

朝鮮半島では、東拓をはじめその他の日本人地主は、せいぜい一割にすぎなかった仮に「二束三文」で朝鮮半島の土地を手に入れた者がいたとしてもである。

(中略)
移住農民は、やがて米価の高騰により、生活状態が好転し、養豚、養鶏、養蚕、果樹園の経営その他の多角経営で、地方に貢献していった。そもそも日本農民は、朝鮮農民の粗放農業とは違い、集約農業に慣れていたので、集約的、多角的経営によって定着し、農民は生活が向上している。

日本農民が開拓した農地は、決して言われているほどの良田ばかりではなかった。開墾地は元は大河の遊水地、交通不便にして少々塩害がある干拓地であったものが少なくなかった。

たとえば、江西干拓事業は3500町歩の干潟地、海岸草生地であった。李完用の養孫から買った土地は、黄海道東部の山間にある高原地帯であった。地味不良で有機物に乏しく、灌漑用水も上がらない、水田にもならない不毛の地であった。

当時の東拓農業移民を含めて、日本の農業移民は、朝鮮半島農民の美田、良田を強奪するよりも、朝鮮半島の農民が一顧だにしなかった不毛の地の開墾や僻地の干拓を行なう者が多かった。日本農民の朝鮮半島開拓は、数千年来の農耕国家には、まったく考えられないほどの農業革命をまき起こしている。

農業移民の改良農法は、成績が上がれば朝鮮小作人のモデルとなり、改良品種の試作によって、新品種、新農法が次から次へと普及していった。さらに移住農民の養豚、養鶏、養蚕などの多角的経営、農事施設、農業指導、勧業奨励などは、かつて小作人からの収奪しか知らない李朝時代には、見られない光景であった。当時の朝鮮人の気風としては、午前中に働いて、午後は寝て暮らす、明日は明日の風が吹くというのが一般的であったからだ。

雨や雪の日の労働を忌み嫌い、冬季になると室内に蟄居(家のなかに閉じこもり)して、無為徒食する朝鮮農民にとって、日本農民が老若男女の差なく、家族ぐるみの農事に従事し、厳冬にも室内作業その他の副業に励むことは驚異であったそして日本農民の自カ更生に燃える生活意識と勤勉な農民気風が、新風として朝鮮の農村に吹き渡った。

そもそも朝鮮人女性は屋外で労働する習慣がなく、屋内に隠れていて、他人に顔を見せることを恥としていたが、婦人の屋外勤労奨励により、少しずつ畑などで働くようになった。

日本農民の集約的農法は、労働力を結集して、換金作物から副業にまで及び、自ら資産を増していくとともに地方をも潤していった、日常必需品の急増によって地方経済をいっそう刺激し、市場経済が賑わっていく。しかも、僻地にまで組合や学校がつくられ、医療施設も普及し、道踏、橋梁がつくられ、流通、運搬も盛んになった。

「土地の収奪・搾取」などと机上で論じている戦後の論埋とは違い、日本の農民が朝鮮半島の農業近代化だけでなく、朝鮮半島の近代市民社会の成熟に多大な貢献を果たしてきた。その歴史的事実について、終戦後の学者たちは、なぜ本格的な研究をしないのだろうか。まことに遣憾である。
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